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考える言葉

 

郷原

 
2005年10月10日(月)

 論語に「郷原(きょうげん)は徳の賊なり」(陽貨第十七)とある。
 広辞苑によると、“郷原”とは、善良を装い、郷中の好評を得ようと努める小人のことをいうそうだ。
 なぜ、それが徳の賊なのか。世渡りをうまくやろうとするあまり、自らの見識や信念に従って行動しない。要するに、八方美人的で節操がないわけで、真実を歪めてしまうことになるからである。
 人が集まるところ(郷)、つまり職場などに必ず“郷原”がいる。「郷原が徳の賊」であるならば、“郷原”がはびこる組織とは徳がない組織ということであるから、いずれ没落を招くであろう。ゆえに、見逃すわけにはいかない。
 先だっての経営人間学講座で、「企業の成功条件の80%以上は、つねに健全な危機感を保ち、その対策を持ちえているかどうかである」というような講話があったが、全く同感である。
 確かに、危ない企業ほど危機感が伝わってこないことが多い。多くの人が、危機を危機として共有できていない。心の中で、そう思っていても誰も口に出さない、そんな組織風土ができあがってしまっているのである。
 “郷原”は、真実に蓋をしてしまうので危険分子である。つまり、現実を直視することをせず、問題を先送りしてしまうのである。慣れ合いの文化を増長してしまい、変化を嫌がるのが恐ろしい。
 組織にとって大切なのは、結束する力である。“郷原”の本質は、偽善であり、欺瞞なのだ。“郷原”がはびこる組織に真の結束が生まれるはずがない。
 職場は、様々な価値観が出逢う場でもある。だから、真の結束(目的の共有)が生まれるプロセスにおいて、ぶつかり合うのは必然であり、それを恐れていては何も生まれてこないし、進化できないと考える。
 “郷原”は、不正直である。何よりも、本音の対話を嫌がるというか、自分をさらけ出すのに一種の恐れがあるのだろう。その恐れと向き合わないと仮面をかぶったまま、ずっと生きていくことになる。本人にとっても、どこか気が休まらず、よくよく考えると辛いことである。
 アグレッシブで、チャレンジ性に飛んだ組織には、自らの信念に従ってものをいう、“郷原”に立ち向かう誰かがいる。それが自分の役割であると確信した人が、真のリーダーである。
 「郷原は組織の賊である」、肝に銘じておきたい。