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考える言葉

 

発憤材料

 
2003年07月14日(月)

 クライアントの創立30周年記念パーティーに呼ばれ、出席した。周知のようなご時世だが、300人を超える参加者があり、盛大であった。
 社長の人柄であろう。チャールズ・ブロンソンのような風貌で、いつも本音でものを言うが、不思議と敵をつくらない。むしろ、周りを共感・共鳴の渦の中に引き込んでしまう絶妙さは、天性なのかも知れない。
 私が独立して間もない頃からの付き合いであるが、ある日突然、事務所にやってきて、一言。「自分の会社の経理は、先生に頼むようにしたけん。報酬は、先生の言い値で決めてくれんね・・・。自分は経理のことはよう分からんから、もちろん、先生の仕事にいろいろと注文はつけん。仕事は自分がドンドンとってくるから、とにかく良か会社にするから手伝って欲しい」
 報酬はこちらの言い値だという。困惑していると、先方が提示した額が破格、その半分にしてもらったが、それでも破格であった。その気にならないはずがない。
 記念パーティーでは、永年勤続者の表彰もあったが、社員の半分以上が15年以上の勤続者であるのも中小企業では珍しい。
 友人の挨拶で、「社長は、自分と境遇が似ていて、小さい頃から悪がきで高校も中退、学歴もなかった。だから、やるしかなかった・・・」とあった。
 学歴がないから、社会人になったら風下にいる、そんなことは到底できない。自分で会社を興すしかないと“発墳”したのだろう。戦後のベビーブームの世代だから、まさに学歴社会の走りの頃である。
 人間は、自分に足りないものに気が付いたとき、それを発憤材料にすることができるかどうかで、全然違うのである。
 この社長には、それが備わっている。しかも、周りの人間までその気にさせていくからすばらしい。社会人になるとき、ご両親から言われた一言、「人様に喜ばれる人間に成長して欲しい」を胸に刻んで、やってきたそうである。
 人間のあらゆる失敗や悩みは、すべて小さく自分を限定してしまうこと、あるいはつまらないことにこだわることから始まると、ある本に書いてあったが本当にそうだと考える。
 自分に足りないものを、発憤の材料とし、人様に喜んでいただけることを志して、仕事をすれば、会社が良くならないはずがない。
 中小企業は、足りないものだらけである。だから、発憤し、成長できる機会があるのである。私も、肝に銘じておきたい。