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考える言葉

 

自己と仕事

 
2003年08月11日(月)

 先月の「経営人間学講座」(7月29日・福岡)の講義のなかで、次のような印象深い言葉を頂戴した。
 「(人間は)自己概念が弱いから、自己イメージに振りまわされる」(経営人間学)。
 ここでいう“自己概念”とは、アイデンティティーのことで、本質的な自己であり、不動・不変の自分である。“自己イメージ”とは、現象的な自己であり、移ろいやすい心の状態の自分であるといえよう。
 私たち人間は、自分が何であるかという自己の本質に気付かないままに、環境に支配されながら様々な自己イメージで生きている。つまり、自分の心の中に存在している様々な自己を統合できずに、自己を見失い焦燥感の中で、何か得体の知れないものに追い込まれながら、時を悪戯に刻んでいる自分がいる。
 そこで、自己の本質に気付かず、自己を統合できずにいる自分とは何かということが問題となる。人生の目的論から捉えると、それは「自分は何のために生きているのか?」という“目的の特定”ができずに生きている故の“迷い”であるといえるのではないか。すなわち、目的を見失ってしまい、手段を目的化するという過ちを犯してしまうのである。
 このように考えると、「人間は、目的の特定(自己概念)が弱いから、幾通りもある手段(自己イメージ)に振りまわされる」と言い換えることができよう。
 経営論的に表現しなおすと、「戦略(進路の方向性)を見定めることができずに、戦術論(目先の対応)に追われ、八方塞がりの状態に陥っているようなものだ」といえよう。
 企業において今、「理念・目的・ヴィジョン」の重要性が叫ばれる背景がここにある。これらを明確にしないと、戦略が浮き彫りにされないからである。
 “目的の特定”とは、価値の選択にほかならない。その意味において、自らの価値観が自己の人生を支配しているといえよう。ところが、今の日本人にとって厄介な問題がある。戦後の日本人は、価値観教育を受けてきていないので、自らの価値観をどのように形成していけばよいのかが分からないのである。つまり、価値観の喪失が、目的を描けない多くの日本人をつくっている。
 私は、自己概念化する唯一の手段が仕事ではないかと思う。仕事とは、社会へ価値を創造していくことである。そして、人間は仕事を通して、自己の存在の価値を認識していけるのではないだろうか。
 「仕事の報酬は、自己の成長(自己概念化)である」といえよう。