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考える言葉

 

確信

 
2003年08月18日(月)

 マネジメントを初めて定義づけ、体系化したとされるピーター・F・ドラッカーの名言集が二冊出版され(「仕事の哲学」と「経営の哲学」)、好評の売れ行きらしい。
 ドラッカーは、“目標管理”の生みの親としても知られているが、その“目標管理”について次のように述べている。
 「自己管理による目標管理は、スローガン、手法、方針に終わってはならない。原則にしなければならない。哲学という言葉は安易に使いたくない。大げさである。だが、自己管理による目標管理こそ、経営の哲学たるべきものである」
 ドラッカー自身が述べているように、哲学という言葉で表現すると大げさになると自重しつつも、敢えて「目標管理こそ、経営の哲学たるべきもの」と断言的な表現をせざるを得なかった意図を考えてみたい。
 哲学という表現において、ドラッカーが“目標管理”について述べたいことは二つあると思う。
 一つは、組織において“目標管理”を確立させるプロセスこそが、経営の本質(目的)そのものであるという認識をもつべきであるということであろう。
 ここでいう目標とは、貢献の内容であり、貢献できる自己に成長したいという欲求のことをいう。つまり、自己の主体性において、貢献について考えることができる人材を育成することこそ、経営の歩むべきプロセスであろう。
二つは、“目標管理”を実践しようとしている私たち自身が「自己管理による目標管理こそ、経営の哲学たるべきものである」という言葉に確信を持って取り組むことができるかどうかである。
つまり、私たち自身の価値観のレベルが“目標管理”の概念的価値そのものに値するかどうかが問われるのである。
仮に、私たちの価値観が“目標管理”の価値を捉えることができないならば、“目標管理”は、スローガン、手法、方針に終わってしまい、何ら成果も期待できないであろう。
この憂いについて、ドラッカーは次のように述べている。
「目標管理は、人間というものが、責任、貢献、成果を欲する存在であると前提する。大胆な前提である。だが、我々は、誰もがほぼ期待どおりに行動することを知っている」
まさにその意味において、“目標管理”は、人間の自己実現的欲求を前提としており、その可能性への確信であるといえよう。