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考える言葉

 

もぐら叩き

 
2003年09月01日(月)

 いくら努力をしても報われないような仕事ぶりをしている人が結構いる。それって、“もぐら叩き”と一緒ではないかと気になるが、本人は穴から顔を出した“もぐら”を叩くのに一生懸命で、いっこうに気付く様子がない。
 ゲームだと時間制限があって、その間に顔を出した“もぐら”をどれだけ叩けたかどうかを競うのであるから、「良い運動になった・・・」と満足も伴うが、仕事となるとそうは行かない。
 “もぐらとは問題のこと“をいっているのであるが、”もぐら叩き“のような仕事ぶりの人をみていると、「この人は問題意識に欠けている」と感じざるをえないから、見過ごすわけにはいかない。
 仕事上の問題にもいろいろな種類がある。それは、大きく分けると経営上の問題であったり、管理上の問題であったり、作業上の問題だったりする。それに、顕在化した問題だけでなく、潜在化している問題だってある。さらに、大切な時間を費やすに足る問題なのかどうかを見極める必要もある。(経営人間学講座)
 このように、問題を叩きはじめる前に、問題の内容を見極める力があるかどうかが問われるのである。その見極める力のことを“問題意識”というのではないだろうか。
 “問題意識”は、ただ漠然と与えられた仕事をこなしていても決して生まれてこない。それは誰もが経験済みのはずで、十分に承知していると思える。
 “問題意識”の向上に欠かせない最も重要なことは、「自分のなすべき仕事の目的とその成果が何であるか」を特定し、明確にして仕事に取り組んでいるかどうかである。 
つまり、「何のためにこの仕事をしているのか、どのような成果を期待されているのか。そのために解決すべき課題とは何か?」を考えることを“問題意識”という。
 富士山に登ろうと思わない人にとって、富士登山に必要な準備が一切不要なように、無目的な人に本来、問題などあろうはずがないのである。(無目的であること自体は大変な問題ではあるが・・・・・)
 真の問題とは、仕事の目的の特定から生じるのであって、そこから生じた問題だからこそ価値を生み出すのである。にもかかわらず、私たちは日常性の中で、何と無意味な問題とかかわり合い、体力を消耗しているのだろうか。
 このように考えると、目的に立ち返って抱えている問題を整理してみると、取るに足らないことに悩み、振りまわされている自分に気付くはずである。
 “もぐら叩き”とは、無目的のまま、ひたすら努力をしている様をいう。いずれ体力を消耗し、疲れ果てるだけである。