本文へ移動

考える言葉

 

ウサギと亀

 
2004年02月23日(月)

 「ウサギと亀」の童話は有名だが、「ウサギは何故、亀に負けたのか?」、その解釈はいろいろとありそうだ。
 先だって、次のような解釈論をきいて、「なるほど!」と得心した。
 「ウサギは他人との競争に気を取られていたが、亀はゴールのみを目指していた」という。
 これは、相対的に物事をとらえ、判断しがちな現代人にとって、きわめて示唆的な解釈ではなかろうか。
 相対的とは、他との比較において成り立つもので、つまり自分自身の外に存在しているものとの比較において、物事を認識しようとする考え方である。これが昂じると、“善悪の判断”すら「あいつらに比べると、俺はまだ、ましなほうだ」と、お門違いなことをいい出しかねないようになる。
 マネジメントにおいて改めて注目されつつある“目標管理”にとって、大切なのは“亀の論理”ではなかろうか。
 よく見てみると、自らが掲げた目標であろうと、組織全体で確認しあって、つくったルールであろうと、それらを守れない人は、ウサギのように相対論的な考え方をしている人が多い。そして、このような人たちにとっては、自らの目標もルールも常に自分らの外の問題なのである。
 「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」、このような発想をもつ人間に自己の確立など、到底できようがない。当然ながら、自分を見失ったままで、他人からねじをかけられないと自分の意志で動けなくなる。そして、自分が操り人形の如く、生きていることにすら、気付かなくなる。
 私たちは、もっと自分自身ときちんと向き合うべきである。他との比較において自己正当化しても何の意味もなさない。自己の内面において、自己をしっかりとつかむべきである。
 どんなに素晴しい目標やルールをつくろうと、それらを自己の内面においてどのように価値化したか、つまり、私たち自身の心が、すなわち意識が、その内において絶対的な価値認識をもち得ない限り、実行しないであろう。
 自らの目指す目標を明確にしたら、自分の外の要因に左右されることなく、ひたすらその目標の達成をめざす、そんな絶対的な自己の確立こそ、いま私たちに問われている課題なのではないだろうか。
 あなたは、ウサギと亀、はたしてどちらに組しますか?