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考える言葉

 

マニュアル

 
2004年03月01日(月)

 けっこうな種類のマニュアルやチェックリストが、どこの企業にもあるに違いない。
 うちの事務所でも、確定申告など年に一度の仕事にとって、この手の類はあれば便利で、ついご厄介になってしまう。
 調べる手間も省けるし、手順を追ってチェックすればミス防止にもつながるし、確かに能率的な一面がある。
 しかし、これらを活用している人のレベルや意識の差の開きに、私たちは気付いていない。何でもそうだが、能動的な人と、そうでない受動的な人がいる。どちらかというと、この手の利用者には受動的な人間が多いし、また、そのような人間をつくりやすいのである。
 もともと、マニュアルやチェックリストの類は、どこか手っ取り早く成果を出したいという思惑が潜んでいる。それ故に、マニュアル通りにやることが求められる。一旦、マニュアルに慣れると、サービスカウンターにいる若い女性の例を引き合いに出すまでもなく、対応が反射的である。
 自分の頭で状況判断をして対応しようなどと考えたこともないのだろう。このような人たちは、マニュアル等を丸暗記はするものの、その内容の意味について、深く考えようとは決してしたことがないのであろう。
 「何故、そうなの?」という質問に、「ルールですから・・・」と答えにならない返事をする。こちらは、「何故、そんなルールを決めたのか?」を聞いているのである。
 外でつくられた情報や知識が、そのままで新たな価値を生みだすことはない。自分の内に取り込んで、自分の頭で考え尽くさないと、臨機応変な自在性のある価値を生みだすことは、いつまでたっても無理だろう。
 それに、マニュアルやチェックリストは、いわば過去の成果を要約したものに過ぎない。使う者によって改善され、あるときには丸ごと廃棄され、新しいものに変えなければならないときもある。
 マニュアル等も含めた様々な決め事には、現状を維持する効果はあっても、現状を変える力はない。ましてや変化が常態である今日的状況においては、それ以外のところで起きている問題のほうが大きい。
 だから、マニュアル依存の社内教育をしているところは、それを利用している個々人の意識レベルを知っておく必要がある。
 利用者からフィードバック的な意見がないとすれば、それはすでに危機的状況であると考えたほうがよいだろう。