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考える言葉

 

バリ体感

 
2004年03月15日(月)

 福岡空港からシンガポールを経由してバリ島に着いたのは、その日の夜。赤道直下の熱帯性気候で、しかも今の時期は雨季なので、湿度も高く、夜にもかかわらずムッ-とする暑さだ。
 長崎をでて、もう12時間以上たっており、旅の疲れと暑さの中、ホテルに直行してもらいたいところだが、バリ舞踊とバリ料理のウエルカムディナーがついているという。「勘弁願いたいな・・・」と思いつつ、連れて行かれたレストランは、案の定、バリ風?の造りで冷房も効いていない薄暗い照明の処・・・。
 衛生上、ホテル以外は安心できないという先入観もあり、氷を入れないジュースを注文、これがまた頂けない。こんな暑さの中で、明日からゴルフかと思うと、多少、バリ島へ来たことを後悔している自分がいる。
 ところが、そんな気分が一変する不思議を体感する。まだ暗がりの中で、小鳥のさえずりで目が覚める。
 窓を開け放したい気分を抑えつつ、夜明けを待つ間、様々な小鳥の鳴き声が聞こえてくる。夜明けが待ち遠しく感じるなんて・・・、薄明かりの中ベランダへでると、椰子の木が目に飛び込んできて、きれいに手入れされた芝の庭に池があり、蓮の花がぼんやりとみえる。
 「ハワイと違って、のんびりされるのだったらバリ島ですよ」と誰かがいった言葉を思い出す。「バリで、のんびり過ごそう!」と、そう思った瞬間に、私はバリに溶け込んだのだ。
 昨晩のゆったりとしたレストランの対応や蒸し暑い気候への苛立ちは、なんだったんだろう。人間って、自分の意識が変われば、すべてが変わるものだ。
 私がのんびり過ごすために、時間がゆっくりと流れをつくってくれている。この暑さがゆえに、私はのんびりとしていれるのだと、考えたりもする。
 バリに到着した日の私は、明らかにバリを外から観ていたのだと思う。そして、翌朝からの私は、バリに溶け込んでいたのだ。
 ヘーゲルがいう「絶対精神の自己認識、自分とは絶対精神すなわち宇宙である」という意味が分かったような気分である。あくまでも、気分であるが・・・・・。何か嬉しい気分でもある。
 「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らなソンソン」・・・・・。
 仕事でも何でも、そう!自らが当事者意識を持たないことには、その本当の価値は分からない。