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考える言葉

 

「続・組織論」

 
2004年04月12日(月)

 前回の「組織論」で、「私が概念化したいと考えている“組織”は、有機的あるいはシステム思考によって思考された、そのものである。それは、“組織(全体)と個人(部分)”を、その成り立ちの原理において統合されうる、そのものである」と述べたら、「そのことを、もう少し具体的に示して欲しい!」というご意見を、案の定、頂いた。
 そこで、そのことを、もう少し具体的に考えてみたい・・・・・。とは言ったものの、これが、けっこう難しいのである。
 ピーター・F・センゲは、「システム思考とは、全体を見るためのディシプリンだ。それは物事自体ではなくその相互関係を、静止的な断片ではなく変化のパターンとしてとらえるための枠組みである・・・。そして、それは世界観の基礎をなすものである」と述べている。
 これは、全体(組織)を構成する部分(個人)は、密接な相互関係にあり、つねに影響し合い、変化の常態(変化のパターン)すなわち変化の過程において全体を成しているのである、という考え方である。端的にいうと、物事は関係性においてしか成り立ち得ないし、それはつねに変化するということである。
 しかも、“世界観の基礎をなす”というのは、世の中というものは、私たちの主観がそれをどう捉えようと、そのような原理においてしか“存在”し得ていないと・・・・・。
 例えば、交通システムは、“交通のルール”において、安全を保障されていることはいうまでもない。仮に、そのルールに反して、高速道路で反対車線を走行してしまったとしよう。それで何事もなかったとしたら、それは偶然にも対向車に出くわすことがなかったからに過ぎない。事故をひき起こすことのほうが、必然である。
 ぞっとする話である。しかし、そのぞっとするような事態が、企業経営における「組織と個人との関係」において存在していないだろうか?
 本来、組織というものは、「“協働”のためのシステム」である。そして、“協働”を成り立たせるためには、①目的の共有、②貢献意欲(動機づけ)、③コミュニケーションという3つの要素を欠くことができない。(バーナード)
 このように、“協働”の場としての組織を成立させる要素を認識し、それらが上手く機能するような組織体制を客観的にイメージすることは、今日においては、さほど難しいことではない。やはり、最終的に問題として残るのは、“協働システム”しての組織に関わる各個人の“思考のレベル(=価値観のレベル)”ではなかろうか。
 各個人が、自他の関係をどのように認識しているかという、その“主観”の在り様について考えてみる必要があろう。