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考える言葉

 

尖る

 
2019年08月05日(月)

 先週末(8月2~3日)、クロスウェーブ(船橋)で、「NBM(第18期⑥・(最終講)」と「Ja‐BIG後継者育成塾(第1期③)を同時開催で行った。猛暑日が続く中であったが、参加者の熱意に心から感謝したい・・・。
 
 雑談中の学習チームの横を通ったときのことであるが、次の質問が飛んできた。

 「何でも“尖(とんが)る”ってことは大切ですよね・・・?」 

 場の状況は飲み込めないまま、質問者は、“尖る”という言葉を個性的、先鋭的、目立つなどの意味合いで言っているのだろうと咄嗟に判断し、「“尖る”ことは大切だと思うけど、バランスも大事だと思う」と応えたのであるが・・・。

 この時期、地方大会を終えて、いよいよ夏の甲子園がはじまる。どのチームにも、いつも“尖った”存在の球児がいて、紙面を賑わし、注目されて、プロ野球入りする者も多い。そこで課題が生じる・・・。

 何故か?プロとは、もともと“尖った”存在で、“尖る”ところがあってこそ、プロである。

つまり、“尖り”があるのは当たり前で、差別化の要素にはならない。課題は、その“尖り”をどう生かし、進化させ続けることができるかどうかであろう。
 
 先ず、認識すべき共通課題は、仕事の本質についてである。
 
 一つは、仕事の繋がり、関係性である。どんな仕事でも他の仕事との関わりにおいてしか成り立っていないということ。お互いの仕事を通して、お互いの“尖り”を認め合い、生かし合うことにおいてしか、大きな成功はないということである。
 
 もう一つは、仕事の進化である。世の中は常に進化している。その進化に伴い、仕事そのものも進化し続けることができなければ、不要なものとなってしまう。つまり、自らの“尖り”を磨き続ける努力が必要となる。
 
 さて、“尖る”ということは、その人の持つ能力(才能、才覚、技術など)の鋭さをいうのだと思う。能力とは、何かを成し遂げるときの「手段」として働く。つまり、「手段」は「目的」が明確になってこそ機能するものだ。
 
 「何のために」という目的を決めるのは、能力ではなく、その人の考え方、つまり価値観である。能力の“尖り”を磨き上げれば上げるほど、価値観のレベル(位相)を高めていく必要性だろう。そうでないと、間違った方向へ行ってしまうと尖っているがゆえに厄介な事態が生じかねないと思う。

 「“尖る”ことは大事だが、バランスも大事・・・」ということは、価値観との関係である。
個性と個性がぶつかり合っては、せっかくの“尖り”も台無しになる。

 能力を高める(尖る)と同時に、価値観の位相(バランス)も高めていきたいと思う。
 
”考える言葉”シリーズ(19‐28)