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考える言葉

 

先送り症候群

 
2000年04月17日(月)

 恐ろしいことに、日本には“先送り症候群”が今なお蔓延している。

バブル崩壊後の日本経済の停滞を“失われた10年(ロスト・ディケード)”と揶揄されたが、2000年になっても改革のテンポは今なお鈍いように感じられる。特に政・官の無責任さには目を覆いたくなるばかりである。

 しかし、当の本人達に先送りしているという自覚症状が感じられないところに、この病気の怖さがある。長い間、曖昧さの中で、いい加減にしても何とかやってこられたという過去の経験を引きずっているのだろう。その意味において、“ぬるま湯病”と呼んでも良いだろう。

 先送りとは、問題の根本解決を未来に委ね、取り敢えず処理でその場を凌ごうとすることである。
いろんな意味で転換期を迎えている今、問題の先送りは大変危険なことだという認識を強く持つべきである。先送りした問題は、必ずと言ってよいほど、さらに複雑な様相を呈して私たちの行く手を遮ることとなる。

 (1) 目的意識に乏しく、ヴィジョンを描き切れない人
 (2) 目先の利害得失(既得権など)に気を取られ、状況の変化に気付かない人
 (3) 事勿れ主義で、リスクを背負わない人
 (4) 自己本位な人
 (5) 批判は出来ても、決断ができない人(無責任な人)

 以上のような人あるいはそのような人が率いる組織がかかり易い病気である。
戦後の偏差値教育が創出した人材の典型みたいなものだから、一言でいうと無思想で度量が小さい人間は気を付けなければならないと考える。

 “変化と競争とスピード”と、どのように戦うかの時代である。テクニカルな生き方が通用しない、本物だけが生き延びていける時代が既に到来しつつある。
 今や、物事に真正面からぶつかって行こうとせずに、先送りをするようなイージーな考え方、生き方が通用するはずがない。

 どうせ誰かが背負わなければならないリスクならば、自分のところで解決しようではないかという気迫を持ちたいものである。

 覚悟を決めてかかれば、先送りしなくても解決の糸口はいろいろと出て来るものである。