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考える言葉

 

失敗に学ぶ

 
2000年07月31日(月)

 失敗について、少し考えてみたい。
 自分の人生を振り返って見ると、いかに失敗や過ちが多いかに気付かされる。いや、むしろ失敗の連続だと言っても過言ではない。
 人間の一生が自己実現のための“成長過程”であると考えるならば、その過程において、失敗は不可避な問題であって、むしろ「失敗から何を学び取るか」が人生の本質ではないかと考える。
 言葉を変えて言うならば、私たちは、自分が生きているこの世の中のことを何一つ分っていない、つまり“無知なる存在”であるという自覚を持ててこそ、真の人生をスタートできるのではないだろうか。
 この自覚を持ててこそ、「吾、日に三たび吾が身を省みる(三省の教え)」(論語)を尊いと思えるのではないか。
 かつて、本田宗一郎氏は、失敗には“許されない失敗”と“許される失敗”があるとして、次のように述べている。
 「“サルも木から落ちる”という諺がある。慢心とか油断へのいましめである。心のゆるみだが、このための失敗には、私は寛容の心を持ち合わさない。何故かといえば人間に許される失敗は、進歩向上をめざすモーションが生んだものだけに限るのだと思うからだ。…・・」
 夢を求め、常に未知なる領域へ挑戦しつづけた経営者ならではの言葉である。人生に付きまとう失敗にどのように対処するのか、学ぶべき智慧がある。
 私たちは、誰もが人生という不可解なものと戦いながら生きている。勝敗には幸運や不運、偶然に左右されることもあろう。自分にとって理不尽な失敗を押付けられることもあろう。しかし、その失敗を悔やんでみてもしょうがない。
 大切なことは、その失敗から自分が何を学び取ることが出来たかどうかである。そして、そのままの状態で終わらせないことである。
 私は、「人生って、寿命が尽きるまでは全て“プロセス”」だと考える。
 今の段階で、勝敗を口にするのはまだ早過ぎる!自分が本当に納得できるまで、とことん戦ってみましょうよ。
 世の中、やっと面白くなってきたのではないですか。