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考える言葉

 

選択と責任

 
2001年01月09日(火)

職業「フリーター」200万人。フリーターは、もはや「すき間」ではない。気づくと、若い世代の大きな塊になっていた(某新聞の記事)。

 厚生労働省はフリーターを15歳から34歳までのアルバイトまたはパートで働く人と定義している。そして、フリーターという言葉をはじめて使ったある情報誌の編集長は「組織に縛られない自由な生き方」という意味を込めて、この言葉を造ったらしい。

 私は、この意味の込め方には些か抵抗がある。何故ならば、組織に拘らずに仕事ができるのかという根本的な疑問があるし、就職することは必ずしも組織に縛られることではない、と考えるからだ。
 個人にとって仕事とは、社会を構成する一員としての役割の分担であり、自己実現のための機会だと考える。そして個人にとって組織とは、自らが選んだ仕事の目的を実現するための手段であり、相互の関係性をどのように構築するかの問題である。つまり、「縛られる」という拘束性の問題ではない。

 フリーターが若い世代の大きな塊としての社会現象があるとすれば、個人と仕事あるいは組織とのあり方についてしっかりと考えておかないと大きな社会問題となるであろう。
 フリーターも仕事に対する自由な選択肢の一つであろう。だから、フリーターという仕事のスタイルに異議を唱えるつもりはない。だが、「自らの選択には必ず責任が伴うものである」ということを自覚してもらいたいと思う。

 それから「組織に縛られない自由な生き方」を主張する前に、「自分の目的を見定めるためのプロセス」としてのフリーターであるという考え方を持っておかないと「失業のプロ」として年老いてしまうのではないかと懸念する。
 「あなたが仕事を選択する自由があると同時に、仕事にもあなたを選択する自由がある」ことを忘れてはならない。自由な選択を望むならば、仕事が望む成果に貢献できる自分になることである。つまり、仕事のキャリアを積むことである。

 仕事を遂行するレベルには次の4段階(成長のプロセス)があると思う。

 (1) 指示に従って正確かつ迅速に処理できるか(素直さ、感謝、基礎力)

 (2) 自らの段取りで仕事ができるか(責任観、職域拡大、目標管理)

 (3) 仕事に対しての問題発見能力があるか(問題意識、指導力、自己革新)

 (4) 仕事に対しての問題解決能力があるか(使命観、マネジメント力、リーダーシップ)

 いずれにしても、これからは競争時代である。自らの仕事に貢献できないようでは、選択の自由などあるはずがないと思う。