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考える言葉

 

ヒーロー

 
2001年03月19日(月)

今週、木村拓也が常識外れの検事役?(私には理想的にみえるのだが…)を演じて、高視聴率で評判のTV番組“ヒーロー”を観る機会を得た。

 なるほど、肩書きや権力などの威圧感を微塵も感じさせないで、一つひとつの事実の積み上げをしながら、ものごとの真理を追究し、解決する仕事ぶりは、まさにこれからの時代のヒーローであり、痛快さを覚える。

 調査の過程で、被疑者の無罪を確信しつつも面子にこだわり、被疑者を死に追いやった刑事とのからみのワン・シーン…。
 「俺たちみたいな仕事(国家権力、マスコミ)をしていると、これっぽっちの保身の気持ちで、少しでも気を弛めたら、人の命を簡単に奪うことになるんだよ。このことを忘れたらいけないんじゃないですか」
 「誰だって最初はそう思ってたさ…。だけど、現実はそうはいかないんだよ。そんなのただの理想だよ」
 「理想を持って仕事をして、いけないんですか!」
 「検事のバッチは、秋霜烈日をあらわしており、権力を持たされた人間に、人を罰することの厳しさを教えている。検事の理想のあり方なんです」

 人間は、多忙な日常性の中で現実のしがらみに押しつぶされ、いつしか理想を見失ってしまう。誰もがそんな自分に苛立っている。だから、自分の中に存在している“理想の自分”が、このドラマのヒーローに共鳴しているのではないかと思う。

 多くのサラリーマンが、最近このドラマの時間に合わせて家路に向かうとのことらしいが、その気持ちがよく分る。しかし、ドラマの世界に逃げ込んでいても、自分がむき合うべき現実が変わるとは到底思えない。
 その気になれば、誰もが自分の中にいる、自分が理想としている自己イメージをはっきりと呼び起こすことができて、ドラマではない現実の世界で、自らをヒーローとしてやれるのではないか。

 自分の担っている“仕事の理想”とは何か?ここから一歩を踏み出してみると良い。いろんな貢献が仕事を通して見えてくる。貢献に意識をやって、自分の仕事を考えると、その仕事に無限の可能性を見出すことができよう。  
 純粋培養じゃない、現実にまみれた理想だからこそ価値がある。理想と現実のギャップに悩み、苦しんでこそ真の価値が生まれるのではないかと思う。

 「真理に優る力なし。理想を忘れず、仕事をやり続けたい!」、“ヒーロー”を観ていて、そんな気分にさせられた。