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考える言葉

 

人材

 
2001年03月26日(月)

ある経営者の嘆き、「人は足りているが、人材不足」だそうだ。

 「人」とは、与えられた仕事を手際よくこなすだけの人、そして「人材」とは、自分の頭で考え、創意工夫ができる人のことらしい。
 赤字企業の決算書を見ていると、その赤字の原因の多くは、労働分配率(付加価値に占める人件費の割合)の悪化にある。つまり、多くの人が自分の給与に見合う生産性を上げることができないでいる。

 21世紀前半は淘汰の時代といわれ、企業も個人も否応無しに競争を余儀なくされる時代である。
企業は、さらに「人」を切り捨て(リストラ)、「人材」の確保に動くであろう。自らの組織を守るためには、当然過ぎる論理である。躊躇していたら、命取りになるという危機感がある。

 私たち企業人が知っておくべきことは、「人」と「人材」との間には考えている以上の“格差”あるということである。変化とスピードが問われる時代においては、なおさらである。
受身でしか仕事ができない「人」では、とても競争社会では生き残れない。自分の頭でしっかり考えて、問題点を発見し、解決していけるような「人材」でないと、環境の変化に対応していける訳がないからである。

 今は、人材を育てるチャンスであると考える。なぜなら、競争は必ず「差」を生む。人間は、「差」を正しく認識できてこそ、その「差」を埋める意識が持てる。
 そこに、私は自己成長のチャンスを見出すことができる。「差」を埋めるための“自己革新”こそ、自らが人材として成長できる絶好のチャンスではないか。

 「差」とは、単に他との比較だけではない。自らが掲げる“あるべき姿(理想)”と現実の間に存在している「差」は、いつも人間を成長させるバネとなっている。
 究極のところ、人間は“自分との戦い”の中で、自己の完成を目指していると言えよう。

 変化の時代は、チャンスである。変化に適応できるように“自らの理想”を描き直せるからである。
“自らの手で未来を創る”思想性を持ち、そして熱い想いでヴィジョンを語り、未来の人材を育てることができる人こそが、真の「人材」と言えるのではないだろうか。

 “時代が人を創り、人が時代を先駆ける”。人と時代は、持ちつ持たれつの関係で歴史を重ねている。