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考える言葉

 

言語概念化

 
2002年04月01日(月)

 "考える言葉"シリーズを書き始めて丸5年が過ぎ、6年目に入る。

週に一回のペースで書いているので、今まで約250回、つまり、250ほどの"テーマ"にチャレンジしたことになる。

 このことが、どのような意味を持つのか、まだ自分でもよく分からないが、発信する人の数が増えるにつれ、やめられなくなったことは事実である。

 元々、その一年前から通い始めた「経営人間学講座」で学んだことを、どれだけ言語概念化できるかを試してみようと思ったことが"きっかけ"である。その意味において、"考える言葉"シリーズは私にとって、いつも"チャレンジの場"である。
 
 言語概念化とは、自分の考えたこと、つまり「思考を論理的に表現すること」である。故に、言語概念化を高めるためには、思考力とそれを表現する論理力を鍛える必要がある。

 そのための最も有効な手段としては、考えたことを文章にしてみることだ。
"考える言葉"シリーズに当初から付き合って頂いている方々から、「以前と比べると、あなたの言葉になっている」と言われることが多くなった。
 
少しは上達したのだろう。継続は力というが、むしろ読者(?)の声の方が私にとっては大いなる励みとなった。自分が書いたことに対して反応があると、それがどんな意見であろうと率直に嬉しいし、向上心を刺激される。

 自分の言語概念化を鍛えるために始めたのであるが、"考える言葉"によって、もう一つ別の大きな効用を授かったような気がする。それは、自分の言語概念化が高まることによって、相手の話の真意がよく聞き取れるようになったことである。

 つまり、正しく表現する力は、すなわち、表現されたものを正しく聞き取る力に他ならないのである。

 逆にいえば、曖昧な表現しかできない人は、他の人が表現したことも曖昧にしか聞き取っていないことになる。よくよく考えると、恐ろしい話である。

 組織内におけるコミュニケーションの拙さ、例えば、トップが言ったことが組織内で徹底されないなどは、言語概念化能力の低さが原因となってはないだろうか。

 また、 21世紀はネットワーク社会である。特に、人的ネットワークは、関わり合う人間がそれぞれの価値観を理解し合えるかどうかが、成功の決め手となるであろう。

 様々な人間がお互いの理解を深めていくためには、どうしても対話が必要となる。その時、言語概念化能力は欠くことができない、大切な手段となるであろう。