本文へ移動

考える言葉

 

 
2002年04月15日(月)

 NHKの大河ドラマ「利家とまつ」は、若手の人気俳優が顔を揃えている関係もあるのだろうが、若い層の視聴率を稼いでいるらしい。
 主人公の利家と妻まつを中心に、織田信長の「天下統一」の“志(こころざし)”に一丸となって動きつつ、軍団内の出世争いなど武将らの思惑を絡ませながらドラマが展開しており、人間模様がみえて面白い。
 いつの時代でも本質的には同じだと思うが、特に乱世の時代には、人は志すところによって結束し、時代を創っていくものだと考える。
 いま、私たちは激しい変化の時代に身を委ねている。日本はいまだ、その混沌から抜け出すこともできず、動き出したはずの構造改革も過去からの利権構造の強い抵抗にあって身動きが取れないでいる。
 政官財を問わず、リーダーに“高い志”を持った人物が存在し得ていないところに、今日の日本低迷の原因があるように思えてならない。
“志(こころざし)”とは、「十を一つにする心」と書く(経営人間学講座)。
自分の心の中を冷静に観察してみると、何と様々な自分が一つの心の中に混在していることか。そして、本当の自分に確信を持てないでいる。まるで日替わり弁当のように、日々ころころと様変わりする。
当然、心が定まらない状態にあるわけだから、思い切った決断などできるはずもなく、場当たり的な対応に追いまくられる。
揺れ動く様々な自分の心を一つにすることによって、真の覚悟が生まれる。つまり、志が低いと人の心は、大きく揺れる。
難局に直面したときに思い切った決断(舵取り)ができるか否かは、その人の掲げる志の高さに左右される。
志が高い、低いとは、「自分をどれだけ捨てきれるかどうか」である。自己への執着(我執)が、目先の利益にばかり心を走らせ、大局観を誤らせる原因である。
それに、人間は我執にとらわれると自己防衛本能が先に働き、リスクから逃れることばかりに心が行ってしまう。
変革を余儀なくされる今日、リスクは避けて通れないのが経営者の決断なのである。元来、経営者の決断はリスクをいかに選択するかの戦いであると言えよう。
「大事を為すに、動じない心を養う」、それを根底から支える力となるのが“志の高さ”であるといえよう。