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考える言葉

 

共通項

 
2002年06月24日(月)

 トルコ戦に敗退したことによって、日本のW杯は終わったが、優勝を賭けた決勝トーナメントは、なおも熾烈な戦いを続けている。
 戦いに勝ち負けはつきものだから、当然ながら勝者と敗者が生まれる。そして、歓喜と落胆の違いはあるが、いずれ側においても一瞬のあるいは余韻を残した“一体感”を味わうこととなる。
 「感動を与えてくれて有難う!こんな“一体感”を得られるなんて、今の世の中めったにないでしょう・・・・」、サッカーを観戦した人たちの共通の想いが、その言葉にある。
 日頃は、歴史的な国民感情もあって、相容れない部分があるが、残った韓国に何とか日本の分までガンバって欲しいと思うのは、どうしてだろう。それは、世界という視点でみると、同じアジアの国だという“共通項”が、そうさせているに違いない。
 自分と他人の“共通項”を見出せない疎外感、それ故に満たされない日々を送っている多くの現代人にとって、得難い“一体感”に浸れたことは何ともいえない感動のドラマだったのであろう。
 日本の戦いは終わったけれど、W杯は私たちの多くに、日本人であるという“共通項”によって得られる“一体感”が、どんなに素晴らしいものであるかという経験を残してくれた。
 個性重視が叫ばれる一方で、ネットワーク化が進む今日、これからのビジネスの秘訣を教えてもらったような気する。
 それは“共通項”ではないだろうか。つまり、自分と他人を分けて考えるのではなく、あるいは、物事を対立的に見るのではなく、その中にいかに多くの“共通項”を見出すことができるかどうか、そこに秘訣があるのではないか。
 現代人の多くは、自他を分離して考えることによって自己の存在を確認しようとしたが、返って自分を見失ってしまったような気がしてならない。
 人間は元来、社会的存在であり、W杯でも分かるように“一体感”を求めて生きているのであり、そこに本質がある。
 21世紀は、この失われた本質を取り戻そうと動く時代になるのであろう。個人と組織、そして社会などが、それぞれにおいて“共通項”を求めて動き出すのである。
 多くの“共通項”を発見できた個人あるいは組織が、ビジネスのおいて大きな成果を手中に収めるに違いない。
 “一体感”を求めるのが人間の本質であるならば、どんな処にでも必ず“共通項”は存在しているはずである。