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考える言葉

 

共創

 
2002年07月22日(月)

 去る7月17日大阪で開催された第22回国際永久平和記念祭典で、記念講演をされた清水博教授(“場”の研究で著名)の講演内容について紹介をしたい。
 同教授によると、今の日本の「行き詰まり」の状態は、時代の大きな転換期によって引き起こされた状況であり、私たちの価値観を変えなければ、解決は難しいのではないかという。
 世の中が一様性から多様性へと変わったのに、その多様性を受け入れることができないで起きる悲劇に、今の日本は見舞われている。社会の原理が単純だった頃は良かったが、複雑化している今日では一様性に立つ秩序では生きてはいけない。
 ここにいう一様性に立つ秩序とは、いつも正解が一つで差異を切り捨ててしまう生き方で、正解を求めて先を急ぎ、個人の満足だけを求めて競争する社会のことだ。
 交差点モデルで考えてみよう。交差点へ四方から誰もが我も我と先を急いでなだれ込んだら、ダンゴ状態になる。つまり、自分だけが生きようとしてダンゴ状態になっているが今の日本であり、そんな生き方が「良く生きる」と言うことだろうか。
 多様性の中で生きるということは、お互いの違いを認め合いながら、先を急ぐ“競争”ではなく、「大きな場」を共有して生きる“共創”でなければならない。
 “場”とは舞台(ステージ)であり、“共創”とは共に素晴らしいドラマを創っていくことであり、お互いが自作の役を演じ合うことである。
 同教授が述べるように、この“場の共有”という観点の立つとき、私たちは自他を分離せずに、「共に生き、成長する」すなわち、“共創”という認識を持てるような気がするし、大切なことである。
 しかし、今の日本を観ていると、多様性を受け入れることができない悲劇と同時に、多様性を容認した弊害もあるのではないだろうか。すなわち、今の日本には中心となる価値観が存在せず、大勢に迎合し流され、だれも責任をとらない。危機的状況を乗り切るための強力なリーダーシップを誰も発揮できないでいる。
 “場”の中心に何らかの力が必要となろう。まさに職場は、私たちにとって“働く場の共有”である。その中心には組織の理念・目的があり、それが明確であってこそ、様々な価値観を持った人々が、様々な役割を分担しても一つの成果に結びつけることができるのである。
 “場の共有”による“共創”とは、「場の理念・目的(場の存在理由)」とその“場”を共有する人間の問題意識の有り様(価値観の高さ)が求められよう。ここに、今日における思想的学習組織の必要性がある。
 “共創”とは、統合の原理から生まれる概念である。