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考える言葉

 

与件

 
2002年08月05日(月)

 大変化に見舞われて、知らされる事実がある。私たちは今、そんな時代を生きているのであろう。
 バブルが弾けるまで多くの経営者は、「環境(場)を与件として」経営をしてきたのではないだろうか。
 広辞苑によると、“与件”とは「科学や研究の場合、その出発点として論議の余地のないものとして考えられている事実ないし原理をいう」とある。つまり、一定の条件として与えられおり、考える必要がないと思い込んでいる事実ないし原理である。
 私たち日本人の多くは、戦後の日本を支えてきた55年体制、政官財癒着の経済至上主義、あるいは各業界のしきたりやルールを“与件”として、つまり秩序ある環境は不変であることを前提に経営をしてきた。
 このような状況下では、過去の成功体験であるノウハウやハウツウが上手く機能するわけだから、そのような手法を能力的に身につけさえすれば、誰もが手っ取り早く利益を得ることができたし、自己中心的な(企業の論理を優先する)考え方が通用していたのである。
つまり、企業にとって比較的楽に儲けることができたのである。今、この甘い罠から抜け切れずに多くの企業が苦しんでいる。
 もはや、経営にとって「環境は与件ではない」という事実に直面している。つまり、環境の激変は、様々なパラドックス(自己矛盾)を引き起こしている。過去の成功体験が大きければ大きいほど、未来を失ってしまうであろう。本来、業界や企業を守るべき役割を果たしてきた規制が、成長の足かせとなっている。企業にとってリスクを避けることが、リスクを生んでいる。
 今まで、企業の中に「政治と宗教と思想」を持ち込むことはタブーとされてきたが、思想性を失った企業がパラドックスにつぶされている現実を、私たちはどのように受けとめたらよいのだろうか。
 与件であったはずの環境は、いまや変化を常態としている。つまり、環境は与件ではない。むしろ、環境に意識の中心を置いて、考え、行動しなければ、環境に翻弄されてしまうであろう。
 自己中心的な対応を捨て、環境の変化に適応できるように自らを革新して行かなければ、ブレークスルー(現状打破)は、到底望むことはできないだろう。
 規制やタブーと戦い、未来のルール(環境)を創ろうとしている企業が、これからドンドン出現してくるであろう。
 そういう企業にとって、変化はチャンスなのである。