本文へ移動

考える言葉

 

建前

 
2002年08月12日(月)

 「日ハム、おまえも、か!」、不正を摘発される企業があとを絶たない。そんな矢先、某週刊誌に次のような記事が出ていた。
 「コンプライアンス(法令順守)体制の準備」というテーマのイベントが都内のホテルで開催され、ジャスダック上場企業約500社もの社長たち経営者が真剣に聞き入ったという。
 このイベントの目的を、講師をした弁護士は次のように語ったという。
「悪いことをすると、たたかれてひどい目に遭うから、リスクコントロールしましょう、ということなんです」
 そして、終了後、参加者のひとりは、次のような感想を持ったという。
「もうかればいいということではなくて、法律を順守する体制をつくることで、企業の価値が上がるということがわかり、きちんと整備をしていこうと思いました」
 「もうけのためなら、法律なんて関係ない」と企業エゴをむき出しにして、税金をだまし取ったり、消費者に迷惑をかけたりされても困るので、法を守る誠実な企業になってもらうのは大いに結構なことである。
 しかしながら、「コンプライアンス・・・・・」と掲げたテーマの仰々しさや、講師や参加者のコメントを聞くと、今までのような安易な“建前と本音”の使い分けでは、もう通用しない。だから、改めてリスクを再認識し、より建前を強化する体制つくりをするのだと聞こえなくもない。
 どんなに仕組みをつくったとしても、それにかかわる個々人(特にトップ)の価値観・意識(本音)が変わらなければ、本質的な企業体質の変化は期待できないのではないだろうか。いくら建前を強化しようと、本質は変わらないのである。
 「悪いことをすると、ひどい目に遭うから・・・、法を順守すると企業価値が上がるから・・・」などという動機では、空しい。
 問題の本質は、自己中心的な考えが自分と他人を分離してしか捉えることができない価値観(自他分離)を生み出し、建前社会になってしまっていることにある。
 今、企業に求められているのは、新しい時代のパラダイムに合った、社会(環境)との関係性の構築である。
 その根底となる考え方は、自己中心的な考え方を捨て、社会(環境)との共存であり、それは自分と他人を分離して捉えない価値観(自他非分離)であり、その視点において、企業は自己変革をしていくべきであろう。
 「自分と他人は一つである」という考え方にたつと、建前などあり得るはずがないのである。