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考える言葉

 

良薬

 
2002年09月09日(月)

 昔から“忠言耳に逆らい、良薬口に苦し”というが、他人への忠言には、なかなか難しいものがある。
 この格言は、孔子が「良薬は口に苦けれども病に利あり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり」(孔子家語)と語ったことから始まるという。
 「自分のためになる忠告は素直に聞き入れにくい」という例えであるが、自らを省みても全く同感させられる事が多い。
 この格言から得られる教訓を、二つの側面から考えてみたいとおもう。
 先ずは、聞く側の姿勢の問題がある。孔子は、この点を指摘しているのであるが、人の話に対して“素直に耳を傾けることの大切さ”についてである。分かってはいるが、これが意外と難しい。
 何故かと言うと、人間は自分の価値観にとらわれてしまっているからである。しかも、苦言のほとんどは、自分の価値観の過ちに対する忠告なのだ。
 愚かな人間が“自身の過ち”に自ら気付くことはない。唯一救われるとすれば、それは人の忠告に“素直になれたとき”ではなかろうか。ゆえに、“素直さ”は自らの宝である。
 もう一つは、忠告する側の問題である。それは、人が他人の忠告を“素直に聞く”のかどうかは、「その忠告の内容がどうか」ではなく、むしろ「誰がその忠告をしたか」によることが多いからである。
 つまり、自分が信頼している人の忠告には素直になれるが、そうでない場合には素直になれないのが人間だからである。現代人は自他を分離して、批判的に生きているからなおさらである。
 経営者は立場上、忠告をせざるを得ないことが多いとおもうが、普段から部下との信頼関係を培っておかないと、表向きは従順な態度を示していたとしても、内面において無視されていると思った方がよい。結果がついてこない状況が、それを物語っているのではないか。
 「聞く側」と「話す側」のいずれの立場にも立つことによって、人間関係の二つのキーワード“素直さ”と“信頼”について考えてみたが、この二つの言葉は補完関係にあるのではないか。
 「“素直さ”は“信頼”から生まれ、また“信頼”は“素直さ”から生まれる」
 私たちは自らが素直でないと、他人は素直にならないのである。そして、それは信頼においても言えることである。