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考える言葉

 

権限と責任

 
2003年02月24日(月)

 組織における“権限と責任”について考えてみたい。
 気骨溢れる財界人であった土光敏夫さんは、“土光語録”と称されるように、生前に経営の指針となるような数々の名言を残している。その中に、「社員は三倍働け、重役は十倍働く」「幹部はえらい人ではなく、つらい人だと知れ」という言葉があるが、上に立つ人の責任の重さを語っているといえよう。
 その土光さんが、ある本の中で紹介されていたのだが、トップの“権限と責任”について、記憶が定かでない部分もあるが、概ね次のようなことを述べている。
 「社長になったときは、自分の背広の両ポケットには“権限と責任”が同じくらいの重さで入っていると思っていたが、気がついたら片方のポケットに“責任”だけが残っているのだ。社長って、割が合う仕事ではないなぁ・・・」
 この言葉には、なにか実感がこもっていて、もちろん、土光さんとは全然背負っている責任の重さが違うが、身が引き締まる思いがして、何かしら自らの姿勢を考えさせられた。
つまり、「“権限と責任”は、決して“対の概念”ではない」と言い放っているのである。権限を委譲すると、当然ながら責任も持ってもらう。しかし、それは幻想であって、現実はそうはならない。この事は、上にたつ人は、肝に銘じておく必要があるのではないだろうか。
「それでは怖くて、とても権限の委譲なんかできない」と、感じる向きもあるかもしれない。しかし、変化の激しい今日的状況においては、それでは組織がもたない。一人ひとりに権限をできる限り委譲し、主体性を持たしてやらないと、人材は育っていかないし、変化にもついていけなくなるだろう。
考えてみると、土光さんも指摘しているように、不祥事が生じたあとに、建前的な責任を負わせたとしても、組織が無傷で済むようなことはあり得ないのである。つまり、結果が出てからでは、完全な責任など取りようがないのが現実ではないかと思う。
その意味において、“権限と責任”のバランスは、組織の目的やヴィジョンを明確に描き、全社員が共通の価値観で結ばれ、常に危機感を共有するような風土が形成されない限り、成り立たないのではないだろうか。
これからの組織戦略として、有機体的なネットワーク型組織が注目されている。恐らく、生き残るための主流となるだろう。
タテ型組織における地位にもとづいた、形骸化した“権限と責任”論から逃れ、新しい“権限と責任”のあり方を考える時期に来ているのではないだろうか。