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考える言葉

 

質問

 
2003年05月12日(月)

 セミナーなど講演後に、質疑応答あるいは感想や意見を述べるために質問会の時間を設けてあることが多いが、セミナーの内容についてより理解を深めるためにも極めて大切なことだ。
 この時間は、講師と受講者の対話の時間でもあるが、感想や意見は比較的容易であるが、質問となると難しく、慎重さが必要だと感じさせられる。
 何故かと言うと、くだらない質問だと講師も手抜きをしてしまう。大切な時間が、いわゆる愚問愚答な無駄な時間と化してしまい、もったいない。
 「愚問だな」と思われる質問とは、枝葉末節にとらわれ重箱の隅をつつくような内容、批判的で揚げ足論的な内容、自分の知識をひけらかすような内容、建前的で本音が聞こえてこない内容などである。
 これでは、講師に真剣を抜かせることはできない。つまり、このような対話からはセミナーの内容以上の付加価値が生まれてくることを望めないだろう。
 逆に、良き質問をする人がいる。どのように表現したらよいのだろうか・・・。講師の主張の背景にある思想性や価値観に迫っていくような内容が、一つ挙げられる。それから、質問者自らの心をさらけ出すような内容や真剣に悩んだ挙句の疑問など本音が聞こえてくるような内容である。
 講師の方便を突き崩し、より深い内容に踏み込むことができて、密度の濃い時間の共有が生まれる。そんな場面に居合わせたとき、思わず息をのみ、聞き入ってしまう。
 もちろん、セミナーのテーマ(内容)にもよる。ハウツウ的なセミナーでは、技術論的な質問に終始し、機能的な解答のやり取りが多い。しかし、私が参加している経営人間学講座など思想的なセミナーなどでは、質問者の資質が問題となる。
 社内における会議でも、そうである。議題に対するやりとりでの質疑内容のレベルによって全然違った結論へと導かれることが、暫しある。
 良き質問者がいるといないでは、はっきりと会議の質が変わってくるのである。私たちは、提案する場合には比較的考えることをするが、質問するときには不用意なことが多いのではないだろうか。
 しかし、私は、質問にこそ、その人の叡智が問われているのではないかと考える。「良きコンサルタントは、質問上手である」という言葉があるが、良き質問は相手の潜在意識を呼び起こすのであろう。
 良き質問に出逢ったとき、人間は確実に成長している。私たちはお互いに、良き質問をし合える関係性を、意識してつくっていきたいと思う。