本文へ移動

考える言葉

 

独善

 
2003年05月26日(月)

 日曜の朝、政治家や評論家などが出てTV討論会をやっているが、観ていると、誰彼とは言わないが、じつに独善的な意見が多い。
客観性がなく、独り善がりであることを“独善”というが、その本質は明らかに自己中心的な考え方にあり、自我である。
 独善に陥りやすい人をみていると、薄ら笑いを浮かべ、人を見下したような態度を取る人が多い。それに、人の話は自分の価値観でしか聞こうとしていないし、話半分も聞かないうちに、すでに頭の中では反論を思い巡らせている。
 自分が喋り出すやいなや、その態度は得意げで、唯我独尊、おごりの境地とはこのような人を言うのだろう。相手がその独善性に不快な顔をしているのに、「どうだ、反論の余地もないだろう!」といわんばかり・・・・・。
 独善性を支えているのは、その人の自尊心、自負心やプライドであろう。それは、過去における成功体験の積み重ねの中で、自らを正しく省みることを怠ったために生じた副作用みたいなものである。
 独善からは、決して周囲からの共感は生まれない。だから、周囲からの共感が得られていないときは、自分が独善に陥っているということに気づかなければならない。しかし、思い上がった自我は、それを認めようとはしないだろう。
 それから、自分がやろうとしていたことを他人がやると不快感をあらわにする人がいる。このような人も、独善に陥りやすいタイプだから気をつけた方がよい。周囲から認められたのが、自分でないことが気にいらないのである。このように他よりも勝っていたいという気持ちが、独善を生むことがある。
 私たちは今、過去の経験にとらわれない多様な選択肢のなかで、未来を形づくろうとしている。そのためには、自分と異なるものとの関係性をどのように構築していくかが課題となってくる。いわゆるネットワーク化もその選択肢の一つである。
 ネットワークとは、目的の共有ができてこそ価値を生み出すものであるから、相手を認めようとはしない“独善”的な意識が存在していたのでは、当然ながら上手くいくはずがない。
 組織の中で最も“独善”に陥りやすいのは、はやりトップである社長であろう。とくにワンマン社長は危ない。
 “独善”は、自らを省みることができないところに、その恐ろしさがある。「出逢った相手は自分である」という教訓を忘れないようにしたい。