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考える言葉

 

風 土

 
2003年06月09日(月)

 旅をすると、ふだん感じることがない心情の動きを感じることができる。風土の違いがそうさせるのであろう。
 特に、ゆとりを持って旅先に逗留すると、各地あらゆるところ、その地域独特の風土があることに気付かされる。そして、その風土はその地域に住む人たちの心の形成に大いに関わっているといえよう。
 民謡・田原坂の一節に「阿蘇の御神火、心に抱いて、九州男児の血が騒ぐ」とあるが、やはり、その地域に生きてきた人でないと、血は騒がないのではないかと思う。同じ九州でも各県の違いがある。
 最近、顧問先の式典に招かれて鹿児島へ行く機会を得た。滞在したホテルの展望風呂から、湾にぽっかりと浮かぶ桜島をみることができた。ずっと眺めていると、なぜか西郷ドンの顔が浮かんできた。
 桜島は、西郷隆盛の人格形成に、あるいは志にどんな影響を与えたのだろうか。桜島を見て、どんな血の騒ぎ方をしたのだろうか。いろんなことを思い浮かべることはできるが、鹿児島県人でない私には、確信が湧いてこないのである。私が鹿児島で生まれ、育った人間であったならば、「西郷ドンも、きっとそう思ったに違いない」と勝手に確信するのではないだろうか。
 その地域にしっかりと根付いて生きてきたものは、その地域の風土から知らず知らずのうちに同じ養分を摂取し、血肉にして育っている。だから、自然と共感できるのである。
 「文化は、民族の生きる形である」(松本健一氏)という言葉があるが、風土はその地域の文化や風俗に大きな影響を及ぼしている。そして、その風土はその地域の人々の生きる形となってあらわれているのである。祭りが近づくと、心が踊り、血が騒ぐのは、その典型であろう。
 企業にも風土がある。いわゆる、“企業風土”といわれているが、精神的な環境の意である。つまり、その企業の“経営理念”がつくりだす“風土”であるといえよう。
 今、改めて企業理念の重要性が問われ始めているが、“風土”がないと文化の共有は生まれないとすれば、極めて当然な成り行きである。独自の企業文化をしっかりもっていない組織は淘汰されてしまう時代である。
 また、組織風土があったとしても、そこにしっかりと根付く覚悟がない個人は、養分を吸収できず、文化を共有できずに苦しむであろう。
 “風土”とは、自己を育んでくれる大切な大地(母)である。