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考える言葉

 

家 風

 
2003年06月23日(月)

 スタッフの結婚式があり、その披露宴での媒酌人をさせて頂く機会を得た。
 挙式そのものは、グラバー園の中にあるオルト邸の庭園でシビルウェディング(市民結婚式)という、人として一番大切な“心”をテーマに生まれたとされる人前式という方法で行われた。
 ミニスター(認定団体があるらしい)と呼ばれる人がいて、式次第をつかさどる。新郎・新婦・立会人の紹介からはじまり、誓約書の朗読、指輪の交換、婚姻届への署名など親族はじめ多くの人が見守る中、式次第が進み、ミニスターの祝辞のあと、祝奏では、“よろこびの歌”が流れ、バージンロードを新郎・新婦が退場するときには、花びらをまいて祝う。大変ユニークで、洒落てはいるが、神前結婚に慣れている私たち日本人にとっては、正直なところ厳粛な感じにはなれず、浮き足立ってしまうような気がした。文化の違いだろう。
 そんなわけで、挙式では仲人といえども一参列者に過ぎず、出番がないのは気楽でよいのだが、披露宴では新郎・新婦と共に、会場入り口に並び、参列者を出迎えることとなる。そのとき、面白いことに気付かされる。
 近づいてくる参列者が、挨拶をする前から、新郎・新婦どちらの関係者であるかがおおよそ分かるのである。それが、親戚筋であると百発百中と言っても良いぐらいである。顔たちが似ているからかというと、それだけではない。歩き方や仕草など、かもし出している雰囲気に両家の違いを見てとれるのである。新郎・新婦というよりも、そのご両親とよく似ている。
まさに“家風”というものを感じとることができる。私たちは、家という制度のなかで、知らず知らずのうちに身につけている生活習慣がある。家風という一つの独特な文化であり、価値観でもある。
そのようなことを考えていると、男女ふたりの出逢いから結婚に至るまでのプロセスは、愛を確かめ合う様々な行為によっても持続可能であるが、結婚後の生活を維持していくためには“家風”を理解し合うことに踏み込んでいかないと様々な不都合が生じてくるのではないかと思う。
なぜならば、“家風”とはふたりの根本的な価値観を培ってきた風土であり、身にしみついている生活習慣である。
 お互いのなかにある異文化を認め合い、それらを融合し合う時間が必要となろう。つまり、新しい価値観を共有しあうプロセスが、結婚によってはじまるのである。
まさに、その意味において、結婚とはふたりにとって新しい家風へと止揚する為の“門出”といえよう。