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考える言葉

 

質問力

 
2003年06月30日(月)

 以前の“考える言葉”シリーズ(03-18)で「質問」というテーマを取りあげたことがあるが、日本人は欧米に比べて“質問力”が低いのではないかという指摘がある。
 考えてみると、私の場合であるが、職業柄(税理士)も影響していると思うが、どちらかというと“質問に答えること”の方を多く意識してきたのではないかと思う。いや、もっと以前の学生の頃から、問いにうまく答えることに慣らされてきたといえよう。
 私に限らないと思うが、「質問に上手く答え切れないと、どうしよう!」という強迫観念は何度となく経験をしてきているが、質問ができないで悩んだり、恐れたりなどしたことがあるだろうか。質問はしなくても、不都合が生じるというケースは意外と少なかったような気がする。
 私が質問することの重要性を強く意識し始めたのは、経営計画の策定を中心にしたコンサル業務を手掛け始めたときからである。税務会計という制度的な仕事のときには、条文や諸則を調べればよかったのであるが、コンサル業務となればそうは行かない。典拠すべきものがないのである。
 経営課題の解決をサポートするコンサル業務は、その企業に合った答を探さなければならない。しかも、その答の多くは外に存在しているのではなく、企業の中に潜んでいるといってよい。
 もっと明確にいうならば、多くの中小企業の場合にはトップや幹部の意識の中に全ての答が存在しているといってもよいだろう。「名コンサルタントとは、良き質問ができるかどうかである」という言葉は、この辺の事情を物語っている。
 確かに、いい質問をされると、それに答えていくだけで自分の頭の中がきれいに整理されていくのに気付かされる。しかも、自分が意識していなかった問題の本質に気付かされるようなことがある。
 良き質問者は、物事の本質を外さないし、質問の内容が具体的である。だから、思考を曖昧にできなくなるのである。
 さらに、質問の意図(目的)がはっきりしているので、対話がどんどんつながっていく。そうしていくうちに、ストーリー性が出てきて、一つの課題に対して体系化された思考が生じてくるから、おもしろい。
 このように考えてみると、“質問力”は、人によって歴然としたレベルの差が存在していることが分かる。
 しかし、解答力の差は意識しても、質問力の差を意識している人は意外と少ないのではないだろうか。磨くべきは、“質問力”である。