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考える言葉

 

立志

 
2003年07月07日(月)

 佐藤一斎(江戸末期の大儒学者)が書き残した「言志四録」は、江戸末期から維新にかけて歴史を動かしていった西郷隆盛ら多くの志士が“座右の書”とした人生指南の名著である。
 「少にして学べば、即ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」(言志晩録六十条)
 学び続けることの価値を説いた名言であるが、その学び続けるモチベーションの源は、やはり佐藤一斎が、価値ある人生にとって最も大切であると考えている“立志”にあるといえよう。
 その“立志”について、佐藤一斎は次のように述べている。
 「立志の立の字は、竪立(じゅりゅう)、標置(ひょうち)、不動(ふどう)の三義を兼ぬ。」
“志”という字は、「十を一つにする心」と書く。つまり、十(全体)を一つに統合し、「一」は全てに相通ずるものであり、自他非分離の統合の思想が根底にあるものだと考えられる。
その志に正直に生き(竪立)、その志を目標として(標置)、つねに不退転の決意(不動)で進まなければならないと説いている。(経営人間学講座)
私たちは、“志(人生の目的)”をもたないと、いたずらに時間を過ごしてしまうことになるだろう。しかも、そのことに気付かないでいる。
現代人の多くは、何かにつけて「忙しい(心を亡くす)」と言い訳するが、「本当に必要な仕事をしている人は、十人中一人か二人で、残りの八人、九人は役に立たないことをやっているだけだ。それでいて、本人たちは役に立つ仕事をしているつもりで忙しがっている」と、一斎は指摘する。
無毛な時間を費やし、理由なき焦燥感におそわれ、そして心身を消耗して、ストレスにつぶされる。まさに、“志”を描けないでいる私たち現代人が陥っている罠である。
 企業においても同じ。目先の変化に惑わされ、本業を見失い、体力をいたずらに消耗していないだろうか。
経営者は、“こだわり続けるべきもの”と“こだわりを捨てるべきもの”を見極める見識を本当に持ち得ているのであろうか。
今、私たちが真剣に問うべきことは「何を為すべきか」である。つまり、今、私たちや企業に求められているもの、それは“立志”である。
“立志”あってこそ、変化(生成発展のエネルギー)が価値を生み出すのである。