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考える言葉

 

成果

 
2003年10月20日(月)

 どの職場でもあるようだが、同じ環境で、同じ仕事をしているのに成果をあげる人と成果をあげない人が出てくる。そして、成果をあげる人はいつも決まっているし、そうでない人もまた、然りである。
 その差はどこから生じるのか、興味深いテーマである。考えるにそれは、どうも知識とか技術といった能力の差というよりも、むしろ、その人の物の考え方や行動の習慣に問題があるような気がする。
 ある仕事の契約で、顧客を訪問した営業マンの話であるが、契約書をもって出かけていったが、契約の内容などを長々と説明をし、相手が好意的に話を聞いてくれたことに悦に入り、「良かったら、どうぞ・・・」といって契約書にサインをもらわないまま帰ったという。そのあと、何週間も放りっぱなし。
 こんな話もよく耳にする。成果が出そうもない処へ、何度も足を運び、いつも忙しそうにしている人。ひと言でいうと、「要領が悪い!」となるのであるが・・・・・。
 仕事にかかる前に、“どのような成果を出すべきか、明確にイメージしていない”のであろう。説明は契約をとるための手段であり、目的(成果)ではない。それから、“仕事の優先順位を決めるは成果である”という認識が欠落している。
 仕事に成果が伴わなければ、生産性の向上は絶対に望めない。何故ならば、あらゆるものへの貢献は、“仕事の成果”によって成し遂げられるからである。成果の出ない仕事に、誰が喜んで対価を支払うであろうか。
 それから、成果を出せないでいる人は、自分が悪循環の罠に陥っていることに気が付いているのだろうか。意外と気が付いている人は少ないような気がする。努力を目的化し、自分を慰めていないだろうか。
 「仕事を通して、人は成長する」という言葉があるが、もっと正確に表現すると、「仕事を成し遂げることによって、人は成長する」、任務の遂行、つまり、成果を出すことによって成長するのである。そして、その成長がさらに大きな成果を生み出すという良循環のパターンを身につけることになる。
 このように、ものの考え方や行動を改め、「成長と成果の循環パターン」を身につけさえすれば、成果をあげるということは習慣化できるのではないだろうか。だから、成果をあげる人は、いつも決まって成果をあげるのである。
 成果の出ない仕事に、貢献などあり得ないし、また、自己の成長もあり得ないという事実をもっと強く認識すべきである。
 ゆえに、仕事は成果に集中すべきである。