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考える言葉

 

敗者の言葉

 
2003年11月24日(月)

 最近、「仕方ない」という言葉が妙に気になっている。
 「仕方がない」、「しょうがない」、「やむを得ない」、いずれも同義語であり、決して容認できる状態ではないけれど、これ以上の手段や方法がないから諦めるしかない、観念したということである。
 私たちは、この「仕方ない」という一言で、不用意に物事片付けてしまうことがあるが、この場合の「仕方ない」という言葉は明らかに“敗者の言葉”である。
 私が、「仕方ない」という言葉が妙に気になったのは、以前に経営人間学で学んだ次のような“敗者の言い分”を思い出したからだ。
(1) 敗者は、最初から不可能だと言い訳と逃げ道を考える
(2) 敗者は、他人を信用しない
(3) 敗者は、常に困難な仕事から逃げる
(4) 敗者は、後へ後へと判断、決断を遅らせる
(5) 敗者は、自分の長所で攻撃せず、短所で攻撃する
(6) 敗者は、自分が間違っていると気付いても改めない
(7) 敗者は、真の敵が己の心の内にあることを知らない
(8) 敗者は、努力に逃げ込み、成果に厳しくない
 つまり、万策尽きたというよりは、「仕方ない」が先にありきが、敗者がつかう「仕方ない」の意味合いであると考える。
 だから、敗者がつかう「仕方ない」には、どこか投げやりなところがある。いやな現実から目をそらし、真の原因をつきとめようとはしない。原因はつねに自分の外にあり、どうしようもないと思い込んでいる。
 逆に、「仕方ない」という言葉を極力つかわないでいいように、戦う前に万全の準備を整えているのが勝者である。しかも、勝者のつかう「仕方ない」という言葉は、必ず「それがだめなら、他の方法を考えよう」という意味合いを含んでいることを忘れてはならない。
 “敗者の言葉”としての「仕方ない」は、“敗者の言い分”とあまりにも符合していないだろうか。
 しかし、私たちは、「万策尽きた、仕方ない」と思ったとき、まさに「自分の殻を打ち破るチャンスが到来した」と考えるべきではないだろうか。
 「仕方ない」を“敗者の言葉”としてではなく、転じて“勝者の言葉”としたい。