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考える言葉

 

心のサボタージュ

 
2004年02月09日(月)

 サボタージュとは、フランス語で「怠業、俗に怠けること」を意味する。争議中の労働者がサボ(木靴)で機械を破壊したことから生まれたらしい。(広辞苑)
 明確な意思表示の下の“サボタージュ”は、対立点がはっきりしているだけ早期解決の糸口もあるが、厄介なのは“心のサボタージュ”ではなかろうか。要するに、「見せかけだけ」の人である。
 「見せかけだけ」の人とは、疑問を口にせず、一見素直そうで「はい、分かりました」というが、いっこうに実行する気配がない人のことをいう。
 このような状況が組織に充満してしまうと、「ぬるま湯のカエル」のように徐々に体力を消耗し、危機的状況を乗り越える余力を失ってしまい、あとは言わずもがなである。
 “心のサボタージュ”を、本人自身の問題として捉えるならば、その原因は主体性の欠如にある。このような人は、自分の頭で物事を深く考える習慣を持ちえていないので、見せかけの努力に逃げ込み、端(はな)から成果をだす気はないのである。ひたすら事実を仮装し、そのうち他人のせいにしてしまう。いずれは、自滅するしかない。
 これを組織の問題として捉えると、人間関係が絡み、多少複雑になる。上司と部下という関係で考えてみよう。
 以前に学んだ行動科学の組織論に「権限受容説」がある。これは、「組織の権限は部下に受け入れられて、はじめて機能する」という考え方である。そして、部下が上司の命令を受け入れる状況を次の三つの権限で説明する。①アメとムチの権限、②知識の権限、そして③信頼の権限である。
 アメとムチの権限によって、上司の命令を受け入れた部下は、賞罰のレベルにおいてしかモチベーションがかかっていないので、“心のサボタージュ”をひき起こしやすいのである。つまり、他からの刺激に自らの行動を依存しているので、人の目がないところでは、サボタージュを決め込む傾向にある。
 “心のサボタージュ”という問題を解決するには、多様的な対応を迫られている企業の今日的な状況を考えると、個人の主体性の確立こそ重視すべき課題だと思える。しかしながら、組織における人間関係の良否が個々人の行動に影響を与えているという現実を無視できない。
 そのように考えると、上下の関係が“信頼の権限”によって結ばれている状況をつくり出すことこそ、解決の本質ではないだろうか。そのためには、対話を重ね、上下が共同意識をもって、この問題を解決しようという姿勢が大切となる。
 たとえ一時的な衝突があろうと、“心のサボタージュ”だけは、どうしても避けたいと考える。