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考える言葉

 

運と努力

 
2004年05月03日(月)

 かつて多くのファンを魅了した王貞治の“一本足打法”、その衝撃的な誕生エピソードのTV番組があった。
 絶頂期の“フラミンゴ打法”は、まさに完成度の高い芸術品を見るような、なんとも言い難い美しさがあって、今でも脳裏に焼き付いている。
 打撃の神様といわれた川上哲治をして「あれは芸術品だ。自分も相当な練習をしたけど、王ほどの努力はしなかった」、さらに400勝投手・金田正一をして「打者の研究など一度もしたことないが、王貞治だけは研究せざるを得なかった」と、言わしめたのである。とにかく、対戦投手は、王に対して投げる場所がなかったという。
 そんな王も、巨人へ入団した3年間は鳴かず飛ばず・・・。自分のバッティングを見失い、練習に身が入らない怠惰な日々を送っていたという。
 入団4年目、一本足打法を指導した荒川コーチとの“出逢い”で、王の情況は一変する。しかも、一本足打法を初めて試みた、その日に一本のホームランが出るから強運でもある。
 凡人は運をつかんでホッとするが、「せっかくつかんだ運。手放したくなかったら、死に物狂いで“努力”するしかない」と非凡な王は、そのように決心したのだ。
 それからの王は、“究極の技”を完成させるべく練習に打ち込む。自らが選んだ一本足打法に野球生命を賭ける、その選択に迷いはなかったという。
 一本足打法の練習に合気道を取り入れたのは有名な話であるが、それが、王に“集中力”と“間の取り方”を体得させたのではないかと思う。
 「普通、打撃は“動~動”であるが、一本足打法は“動~静~動”である」と、王は説明している。
 対戦する投手は千差万別で、様々な動きや変化がある。それを、静の状態をつくることによって吸収してしまうのであろう。
 「どんな球でも、あんたの目の前を通るのだろ・・・。だったら、条件は同じだ。打てないわけがない」、合気道の先生の一言にインスピレーションが働くから、その感性たるや凄いものがある。
 歴史に「IF(もし仮に)」はあり得ないというが、もし仮に王貞治が荒川コーチ(一本足打法)に“出逢う”ことがなかったら、つかんだ運を手放さないための“努力”を怠ってしまったとしたら・・・・・。
 確かに、歴史に「IF」はあり得ない。歴史は誰にとっても必然である。その必然性を「IF(もし仮に)」で語らしめるのは、私たちの“意識の怠慢”に過ぎない。