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考える言葉

 

情報の拡散

 
2004年05月10日(月)

 議員の年金未納問題は、「未納であるかどうかは、個人情報だ!」と薄らとぼけていた福田官房長官の辞任騒動まで発展し、民主党の菅代表も辞任に追い込まれることになるのだろう。
 権力者といえども、“ごまかし”がきかないのが情報化社会の恐ろしさなのだ。情報の拡散化が権力の求心力を弱め、その弱体化を推し進めていくことになるのだろう。つまり、国家権力とは、情報操作であることがよく分かる。
 確かに情報の拡散化は、風通しが良くなり、悪いことでない。しかし、諸手を挙げて喜べない面もある。それは、国家という依存していた大黒柱がその機能を果たすことができなくなることを意味しているからである。
 もうずいぶん前から、“個の自立”が叫ばれる背景には、このような事情がある。だが、しかし、国(官僚)が欧米を習って敷いてきたレールの上を上手く走るための知識教育しか受けてこなかった日本人の中に、自立の重要性を認識できたとしても、それを演じることができる個人がどれほどいるのだろうか。
 ここでいう“個の自立”とは、単に、「他に依存せず、ひとり立ちできている」ということではなく、「自らの価値観をもって、他との良好な関係性を積極的に構築していける」ような“主体的な個人”を想定しているのである。
 P・F・ドラッカーが予言する、21世紀の多様な組織社会とは、このような“主体的な個人”が相互に関係性を持ち、影響し合いながら自己組織化していくようなイメージではないかと考える。
 マネジメントの一般教養化、つまり、誰もが「自らをマネジメントする」時代が到来しているのである。
 情報の拡散化がもたらす変化は、私たちにとってリスクでもあり、チャンスでもある。どっちに転んでもおかしくない。
 拡散は求心力の低下を促すのであるから、混沌状態をつくりだすことになる。その時に、もう後戻りはできない。崩れだした秩序は、元に戻ることはない。新たなる秩序の模索こそ、生存の道である。
 今、組織のトップリーダーに理念や目的を語れる人が求められている。つまり、拡散されたものを統合する機軸として、理念や目的を描けるリーダーが求められているのである。
 情報の拡散化は、“あるべき個人の姿”を問うことになる。自己の概念化が求められる時代である。