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考える言葉

 

“つもり”

 
2004年07月12日(月)

 人間が自らの罠に知らず知らずに嵌まってしまう・・・・・、それが“つもり”という言葉ではないだろうか。
 「分っている“つもり”です」、「頑張っている“つもり”です」、「やっている“つもり”です」・・・・・。 
 このような言いまわしがすっかり身に付いてしまい、不用意に口をついて出るようになった人には、もうあまり、成長は期待できないのではないだろうか。
 「私なりに、・・・の“つもり”ですが・・・」で分るように、“つもり”の判断基準はつねに自分にある。だから、独りよがりのことが多いが、本人はそのことに気が付かないでいる。
 そのことについて、穏やかに指摘をすると、「なるほど・・・」と一応頷くがポーズに過ぎない。それが証拠に、「そんなことではダメだ!」と強く否定すると山のような言い訳が頭の中に用意されているのである。
 本来、“つもり”は、実際にはそうではないのに、そう思いたい気持ちであると考えるが、“つもり”に過ぎなかったことを忘れてしまい、そう思い込んでしまうところに罠に嵌まる危険がある。
 “つもり”の罠に嵌まりやすいタイプがある。
①結果を恐れ、責任を負いたくない人
②自尊心が強く、自分の弱みを認めたくない人
③井の中の蛙みたいな人
④意固地で、素直でない人
⑤誠意がない人
⑥言い訳をして、責任転嫁をする人
⑦自信過剰になっている人
 いずれにしても、“つもり”は“つもり”に過ぎないわけで、本物ではない。そう、本物を知らないで生きているのである。
 “つもり”の罠から逃れるためには、自分がいかにいい加減な人間であるかを知る機会に恵まれるかどうか。つまり、本物との出逢いがあるかどうかである。
 しかし、その前提には、本人自身の弛まない向上心が培われているかどうかであろう。でないと、どんなに素晴しい出逢いを得ても、“つもり”に過ぎない自分に気付くことはできないと考える。
 “つもり”の罠に嵌まらないように気をつけている“つもり”であるが・・・・・。