本文へ移動

考える言葉

 

リスク

 
2004年08月16日(月)

 最近、よく耳にするのが“リスク”という言葉である。確かに変化が激しく、リスキーな時代である。
 しかし、“リスク”という概念を一言で表現するのは容易ではない。危険、障害、不確実性、偶発性、冒険、チャンス、保険金など・・・・・。
 私は“リスク”という概念を、基本的には「成長のために、乗り越えるべき課題である」というふうに捉えている。つまり、“リスク”は“成長”と密接な関係にあると考える。
 このように“リスク”を考えると、「何のために成長するのか?」あるいは「どのように成長したいのか?」という、つまり、成長のための“目的と目標の内容”が何であるかを明らかにしておく必要がある。
 いつも思うのであるが、目的を特定できている人とそうでない人では、向き合っている“リスク”の性質が異なるように思える。
 目的を特定できている人にとっては、“リスク”はつねに“能動的リスク”であり、それは自らの成長のために敢えて背負うべき性質のものであり、“チャンス”であると考えている。
 一方において、目的を特定できないでいる人、つまり、無目的に生きている人にとっては、“リスク”はつねに“受動的リスク”であり、それは環境から押しつけられたものであり、できれば回避したいもの、つまり、“ピンチ”であると考えている。
 このように目的を特定できている人とそうでない人とでは、“リスク”に関する考え方や姿勢が全然違うのである。私たちは“リスク”について考えるとき、先ずは、このことに気付く必要があるのではないか。
 経営においても同じである。「リスクは、チャンスである!」と捉えている経営者は、明確な目的意識を持っており、「変化にはつねにリスクが伴うが、それ故に成長にとって千載一遇のチャンスである」と考えている。
 目的を特定できている経営者は、座標軸がハッキリしているから、それを基軸に“リスク”を上下左右に整理整頓をしてしまう。それ故に、無意味な“リスク”は決して背負わないし、優先順位を間違えない。
 彼らにとって“リスク”とは、自らが掲げた“目標”の中に内包されており、その“目標”の未達成こそが唯一“リスク”なのである。
 つまり、彼らにとって背負うべき“リスク”とは、自らが掲げる“目標”そのものである。それ故に、彼らにとって“目標”とは、つねに必達を意味し、また、必ず達成できるように事前の“リスク計算”を怠らないのである。