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考える言葉

 

責任感

 
2022年11月07日(月)

 「“責任逃れ”ばかりしている人間に、有意義な人生を全うできるはずがない」と、ある本に書いてあった。同感である。
 確かに、然るべき地位あるいは人の上に立つようになると、まず求められるのが“責任感”であろう。
 理不尽な理由をでっち上げて、他人に“責任”をなすりつけるのは簡単だ。だが、自分自身の能力を伸ばし、より一層の成長をし続けるには、こうした考え方の傾向を克服しなければならないと考える。
 書棚にあった『NO LIMITS「できる人」は限界をつくらない』(ジョン・C・マクスウェル)の一節に“責任感”について触れている個所があったので紹介したい。
 “責任感”とは、「全てを潔く引き受ける覚悟」であると定義し、「この世で最も退屈で、厄介な言葉の一つである」と、冒頭に述べている。
 だが、自身の能力を伸ばし、限界知らずの人生を送るには、“責任”の意義について
しっかり考える必要があるという。
 そして、“責任感”の強い人間になるべき理由として次の6つを示唆している。
 ① 責任は「成功の対価」である
 ② 責任とは「人生をコントロールすること」である
 ③ 責任感は「自尊心」を高める
 ④「責任を取る準備」が整ったとき、行動力が生まれる
 ⑤ 責任感がつくほど「良い習慣」が身につく
 ⑥ 責任感は尊敬と権威をもたらす
 以上、6つの理由はいずれも、自らの体験からも共感できるものである。
 小さい頃から“責任感”に関しては厳しく躾けられた気がするが、学生の頃にある先輩から「人の上に立ちたいなら、言い訳をするな。自分の不始末は自分でちゃんと“責任”を取れ」とアドバイスをもらったことを今でも思い出す。
 そして、“責任”といえばいつも、今は亡き土光敏夫さんの次の言葉が思い出される。
というよりは、座右の銘の一つになっている。
 「トップとは、“責任”と同じだけの権限が与えられていると思っていたが、権限はすべて部下に渡してしまい、気がついたら“責任”だけがポケットの中に残っていた。トップとは、割が合わない仕事だよ・・・・・」
 土光さんに限ったことではない。歴史に名を残すような人物はすべて、“責任”に対する確固たる信念がある。

                   ”考える言葉”シリーズ(22‐43)