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考える言葉

 

個人的には

 
2020年11月23日(月)

 朝日新聞を読んでいると、『天声人語』(11月22日付)に次のような論説があった。
 『“個人的には”・・・。わざわざそう断って発言する人がやけに多いように感じる。気のせいだろうか。「私はこう思う」と単に言えばいいのに、なぜかこの表現がよく使われる』と・・・。
 取り立てて言うほど気にはしてなかったが、確かに言われてみると、「“個人的には”・・・」という発言を耳にすることが多いように感じる。ただ、『天声人語』であえて取り上げて論説するほどのことなのかと思い、深読みしてみた。
 “個人的には”という言葉の意味が気になって、調べてみると、「社会的な集団に対する各々の人に関すること」「公的なものと異なる」「個人を主体とするさま。個人に関するさま」とある。
 コラムの論説委員は、「私はこう思う」と言えばいいものを、なぜ「個人的には・・・」というのか、と疑問を投げかけている。
 何かの組織を代表して発言する立場でない限り、個人としての発言をしているのであるから、改めて言うまでもなく個人的なものである。それをなぜ、敢えて「“個人的には・・・”」というのか?
 その使い方には、三通りの状況が考えられる。
 ① 一つは、自信の無さ。自分の意見に自信を持てない背景から保身・保険のために使う。つまり、「逃げ道」として使う。
 ② もう一つは、他の人への気遣い。相手の気に障るかもしれないが、これだけは言っておこうというときに使う。
 ③ さらに、場の活性化。他の人の意見を引き出し、場を活性化させるためにさりげなく使う。
 論説では、日本の企業では同調圧力が強いので、その圧力にたえる「逃げ道」が必要となり、「個人的には・・・」という表現になってしまっているのではないかと指摘している。
 ここまで書いているうちに、ふと、「自分はどうだろう?」と思って考えたみたが、ほとんど「個人的には・・・」という言葉をつかっていないことに気づいた。なぜか?一言でいうと、「個人=全体」という自覚であろう。自惚れではなく、立場上、無意識のうちにそうなってしまっているのかも知れない・・・。
 今後、「個人的には・・・」という言葉を使うことがあったとしても、①ではなく、②あるいは③の状況で、使いたいと思う。
 
                                                       ”考える言葉”シリーズ(20‐44