1998年03月23日(月)
「何のために働くのか?」といえば、誰だって「給料(生活)ため」と答えたくなるだ
ろう。確かに、豊かな生活(家庭・享楽・趣味)を送りたいと思う気持ちを否定することはできない。
しかし、それでは、仕事はあくまでも糧を得るための手段になる。職場は糧を得るための手段の場となってしまう。
私達は、社会人として生きるために、自分の多くの時間を仕事に費やしている。にもかかわらず、仕事が単に糧を得るための手段でしかないとすれば、それは余りにも、空しくないだろうか。
仕事を低次元で捉えるべきではない。仕事という字の「仕」も「事」も、本来は「つかえる」という意味があるらしい。つまり、二重に「つかえる」という事である。
生活のためだ、お金だ、地位だ、名誉だと、自己の都合や欲ばかりを考えて仕事をしていたのでは、仕事の本質は見えてこない。それどころか、目先の欲を満たすための仕事に縛られ、自由を奪われ、自分が仕事に支配されてしまう事になるだろう。そして、次から次と仕事を放り出してしまう事となる。
この世の中に存在している全ての仕事は、社会の必要から生じたものである。そして、仕事とは、自分に授けられた尊い使命ではないだろうか。
享楽的な、刹那的なあるいは二次的なことを人生の目的にすべきではない。人生の本来の喜びは、仕事の中にこそ見いだせるのではないか。
だから、仕事には、自分を賭けて真剣に打ち込む価値がある。この意識構造が生まれないと、“一流のプロ”にはなれない。すでに、一流しか生き残れない厳しい時代が来ているのである。
いつもいい加減な気持ちで仕事をしていて、自分に自信が持てるはずがない。
『仕事を低次元で捉えずに、自分の人生を賭けてみよう!』
『一流には一流の意識構造がある、それは自分の仕事への“こだわり”』