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考える言葉

 

『武士道』

 
1998年06月29日(月)

 

 新渡戸稲造(1862~1933)の著書に『武士道』という英文で書かれ、欧米人に大反響を呼んだ書物がある。
 彼はこの書物を書くきっかけとなった出来事を、序文で次のように述べている。
 著名なベルギ-の法学者、ラブレ-氏の家で歓待をうけて過ごした時のことである。ある日の散策中、会話が宗教の話題に及んだ時のことである。
 「あなたのお国の学校では宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と質問され、新渡戸氏は「ありません」と答えたという。すると、ラブレ-氏は驚いて歩みを止め「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返したと言う。
 そのとき、新渡戸氏はその質問に愕然し、即答できなかった。そして、心に思い浮かんだのが武士道だったという。
 欧米諸国の人々に、「日本人の精神の基盤は武士道にあり!」を問うためにまとめたという。明治の時代に生きた日本人の気概が伝わってくる素晴らしい書物である。
 新渡戸氏は『武士道』について次のように語っている。
 武士道とは一言でいえば「騎士道の規律」、武士階級の「高い身分(ノ-ブル・オブリジェ)に伴う義務」である。そして、それは神道・仏教・儒教の影響を受けながら基本原理を形成していったとしている。
 『義』は武士道の光り輝く最高の支柱と位置付け、『勇』(いかに肝を練磨するか)、
『仁』(人の上に立つ条件)、『礼』(人とともに喜び、人とともに泣けるか)、『誠』
(なぜ「武士に二言はない」のか)、『名誉』(苦痛と試練に耐えるために)、『忠義』
(人は何のために死ねるのか)など、強靭な精神力を生んだ武士道の本質を解明している。
 武士道を貫く武士の生きざまが一般大衆をひきつけ、大和魂として日本人の心となったとしている。一読の価値あり。

 「義をみてせざるは勇なきなり」
 
 「武士の情け」
 
 「礼儀は優美な感受性」
 
 「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)