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考える言葉

 

第二の矢を受くることなかれ

 
1998年11月08日(日)

「第一の矢は受くるとも、第二の矢を受くることなかれ」(釈尊)
 
 松原泰道先生がその書物の中で紹介されている釈尊の言葉である。         
 人間は、何か一つの思い(前思)がちょっとでも起きると、連鎖的に次から次へと思い(後思)が生じてくるものである。
 人間である以上、誰しも必ず“迷い”が生じるときがある。第一の矢とは、迷いから生じた好ましくない前思のことをいう。
この前思は、誰もが避けることができず、受けざるを得ないのである。要は次いで起こる後念(次々に起こる思い)の処理、対処の仕方が大切である。
つまり、第二の矢を断ち、好ましい思いに切り替えることである。
 ここで、私たちが学ばなければならない大切なことは、前思の思いは全て“自分自身の心の作用”から生じているという事実である。
だから、環境のせいにしたり、他人のせいにしてたのでは“第二の矢”を受けてしまい、泥沼に陥ってしまうのである。
イラついたり、ムカついたり、不安になったりしたら、大自然の中であるいは高い所へ登って下界を見下ろし大きく深呼吸してみることだ。本当にちっぽけな自分のこだわりに気付かされるであろう。
 自分の“心の状態・姿勢”によって、目に入ってくる景色の有り様(人生模様)はいくらでも変わるのである。
これは誰もが経験してることではないだろうか。
人間、死ぬまで自分の心を耕し続けたいと思う。

 (1)一つの思いに執着し、こだわらないこと
 (2)人の話に素直に心を開くこと
 (3)大自然のエネルギ-を全身で受けること