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考える言葉

 

妥協の産物

 
1999年07月12日(月)

「人生って所詮、妥協の産物さ…」と、結構こう思っている人が多い。

 確かに人間誰一人として“完全な状態”で生きている人はいないのであるから、どこかで妥協が生じることもあろう。しかし、だからと言って最初から妥協を容認するような生き方は決してあってはならないと、私は思う。戦後長く続いた右肩上がりの経済下における業界ごとの儲かる仕組み・横並び意識・もたれ合い等は、まさに妥協の産物だったのであろう。

 しかし、今起こっている構造的な大変革は、妥協を許さない環境を創り出している。恐らく、これからは“競争と自己責任”が強く前面に押し出されていく時代である。そんな中で、妥協に妥協を重ね、自己の存在価値を見失ってしまった企業が存続していけるはずはないのである。今、企業のトップと幹部にとって大切なのは、自社の“存在の意味と価値”を明確に指し示すことである。

 そして、その掲げた理想(目的)において決して妥協をしないと言う強い信念があってこそ存続の第1歩となろう。今、企業に求められているのは“自立”である。そして、それは変化を捉え、変化に適応できるように“自己革新”していく勇気でもある。これからは、本物しか生き延びていけない大変難しい時代になりそうだ。本物とは“嘘・偽りのないこと、まこと”である。

 妥協とは自分を偽ることである。これが重なるといつのまにか自分自身を亡くしてしまう。一つの妥協が次の妥協へと流れ、気が付いたときは手遅れと言うことはよくある話ではないだろうか。仕事でも同じ。「取敢えず…・・」という仕事をしている人間に一流はいない。一流といわれる人は違いがはっきり分る人だから、決して妥協をしたがらない。

 だから、更なる成長が約束されるのだと思う。妥協のない人生を送るためには“正しく考えること”が大切となろう。それは思考力を磨き、高めることである。いずれにしても、これからは“競争と自己責任”の時代である。「人生は所詮、妥協の産物さ…」などと言っておれないのである。“正しい思想”を学ぶことが肝要となろう。

 思想とは、思考力を高めるための道具のことである。