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考える言葉

 

学校崩壊

 
1999年10月25日(月)

 教育現場における“いじめ”の問題が大変な社会問題となり紙面を賑わせていたが、今日の学校問題は単にいじめに止まらず悪性の癌が様々に転移した末期的様相を呈しているかに見える。

 「高校が崩壊する」(喜入克著)という本を読んで、背筋が寒くなる思いをした。授業を無視して騒いでいる生徒を注意したことがきっかけとなって、罵り合い、椅子と箒を握りしめ、にらみ合う。突然キレるのは生徒だけでなく、先生も一緒らしい。教育者としての使命感を持ち得ない、自覚のない教師の増加が問題となっているがむしろ私には無気力なくせに打算的な子供が増えているような気がしてならない。

 「あ~言えば、こ~言う」自分の非を認めようとしない、「人に迷惑かけなければ何をやってもいい」という自己主張。とに角、驚くほどに自己中心的なのである。戦後における教育のあり方が今問題となっているが、私もこの根本的なところから教育問題を問わないと、崩れ行く学校に歯止めは掛からないだろうと思う。

 アメリカの占領下政策であった3R主義は、日本人の精神を全く骨抜きにする政策だったらしいが、日本人はこれに応じ、迎合した。日教組の問題、歴史教科書の問題諸々、日本は余りにも目先のことしか考えきれず、日本民族としての「百年の大計」を描ききれないまま、アメリカナイズされたシステムを安易に受容してしまったのかも知れない。日本人としての独自な価値観を持ちえないまま、知識偏重の教育を受けた現代日本人は学校崩壊の危機に止まらず、日本民族国家としての存在を問われているのではないだろうか。

 「子供は未来からの留学生だ」と言った人がいるが、同感である。故に、子供の教育は国家の存続のために最も大切なことである。責任の押し付け合いでなく、全体で考えていくべきである。国家とは何か。家庭とは何か。学ぶということはどういうことなのか。何のために勉強(仕事)をするのか。生きるということはどういうことなのか。

 今の世の中に、どれだけ真剣に子供と向き合える大人がいるだろうか。自分を振り返って考えると、恐ろしい気がする。「教えるということは希望を語ることであり、学ぶということは誠実を胸に刻むことである」確か、あるフランスの社会学者の言葉である。企業においても、将来を担う人材育成の重要性が叫ばれているが、“理念”なくして人材ヴィジョン(どんな人材を必要としているのか)は浮き彫りにされ得ないのである。

 教育者や企業家に限らず、全ての日本人は今、思想教育(正しく考え、正しく行動すること)の重要性に目覚めるべきではないかと考える。