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考える言葉

 

人を育てる

 
2000年01月17日(月)

 「人は城 人は石垣 人は堀」、戦国武将で人育てや人使いの名人であった武田信玄(1521~1573)の言葉として有名である。現代風に解釈すると、「あらゆる経営資源の中で、最も可能性を秘めているのは人である」と言うことであろう。

 大変示唆に富んだ言葉である。しかし、今日の厳しい経済環境下、リストラという経営合理化の風潮の中で多くの“人という大切な経営資源”が機械の部分品のごとく扱われ、使い捨てられている。何故ならば、人は大切な経営資源であるにも関らず、人件費の過重負担が企業収益を悪化させる大きな要因となっている。そのジレンマを容易に解決できない現実に多くの経営者の苦しみがある。

 「人に教えることは容易でも、人を育てることは難しい。何故ならば、人に教えるのに愛情はいらないが、人を育てるには愛情が必要だからである」(経営人間学講座)今日の人材に対するジレンマを克服するには、人を機械の部分品のごとく考え、人間の持つ機能的(=能力的)側面だけを重視し、知識や技術だけをつめ込む知識偏重教育の在り方そのものを見なおす必要がある。

 時代の価値観が大きく変わろうとしている今日的経済環境においては、技術革新によって陳腐化した機械と同じように、能力主義的人材は環境の変化に適応できないからである。「自分は何のために仕事をしているのか、顧客は自分に何を求めているのか、何をすることが自分の使命なのか」と自らの頭で考え、時代の価値観にあった戦略を描けないと人材と言えないのではないか。

 自分のやっている仕事から主体的価値を創造できる人間を育てること、これが真に“人を育てる”ということではないかと思う。そのためには、その人の持つ価値観(思考の枠組み)そのものを問い直させる価値観教育が必要となる。「長所だけを見て育てる」などと言うテクニカル的な手法ではなく、その人の持つ弱さ、醜さ、狡さも包み込んでしまう愛情を持てる懐の深さ、度量が上司(育てる側)に求められる。

 「最も大切な経営資源である人」を育て、活かせない真の原因は、部下に愛情を注ぐことができない“低い価値観”の上司にあるのではないだろうか。この視点に立って考えてみないと、“人材と人件費のジレンマ”から開放されることはないのではないかと思う。

 21世紀は間違いなく“人の時代(ヒューマン・ウエア)”である。