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考える言葉

 

人生、様々というけれど

 
2000年03月20日(月)

 “人生”という言葉を広辞苑で引いてみると、「人の一生。人がこの世で生きること」とある。

 時代のパラダイムが大きく変わろうとしている。今、人生を「いかに生きるか」という人生観が大変問われている時代である。

 人生は様々、十人十色とよく言われるが、この世の中には、「何のために」という目的を持って生きている人と目的を持たずに生きている人、いずれかに大別できよう。
言葉を変えて言うと、人生を主体的に生きている人と流されて生きている人がいるということである。

 現代人は、他人からの干渉を極端に嫌う傾向がある。「貴方はあなた、私はわたし」、だからお互いに要らぬ干渉はやめて、自由に生きようという個人主義的な考え方であろう。

 昔に比べるとずっと自由であるはずなのに、焦燥感、倦怠感、無気力感…・・チョットしたことでキレテしまい、自らの人生を台無しにしてしまう。「これって、何なんだろう」と考えてしまう。いや考えようともしない人がいる。

 全ては目的を描けないまま生きている自分に原因があるということに、私たちは早く気付くべきである。
人間は、自分の人生の目的を特定できないと、主体性、自主性、自発性を発揮できないのである。

 「人生は戦いである」という言葉があるが、「人生の目的を明確にしたその時から、人生は戦いが始まる。人生とは目的達成のための戦いである」(経営人間学講座)ということである。
以前にも書いたと思うが、ヘーゲルの言葉を思い出してみよう。
「人間は価値ある目的を持ったその時から、その人の人生のあらゆる出逢いが価値あるものになっていくのである」

 人間は目的を持って人生をスタートさせるところに価値が生まれるのである。
改めて、強調したい。自己の尊厳や自由を阻害し、蔑(ないがしろ)にしているのは、決して他人ではない。

 人生の目的を特定できないで生きている自分自身であることに、早く気付くべきである。
 人生で戦う敵とは、それは自分自身の中にある。