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考える言葉

 

報・連・相

 
2000年03月27日(月)

  “報・連・相”という言葉が、仕事の場で頻繁に使用されるようになったのはいつ頃であろう。初めて耳にしたとき、「ほうれん草?」と聞き違えて笑われた記憶がある。
 勿論言うまでもなく、「報・連・相」とは「報告・連絡・相談」の略で、それを徹底することは、いろんな人と関わり合いながらあるいは組織力を使って仕事をしている私たちにとって極めて重要なことである。

 「報・連・相の徹底」というテーマは、今でも職場の改善目標としてよく取り上げられる項目でもあるらしい。
 いずれも“意思交換の疎通”に欠かせない手段であり、良好な人間関係を築くための基本である。 「報告には虚偽があってはならない」、「連絡は相手先あるいは内容のもれがないように周知徹底しよう」、「相談は事後より事前」などと良く言われるように、それぞれにおいて注意すべき点が異なってこよう。

 最近、少し気になることがある。それは、報告や連絡は比較的巧くなされているように思えるが、「相談し合う」ということが余りなされていないような気がしてならない。
 報告や連絡が一方行為で終わってしまっていないだろうか。勿論、全てが「相談し合う」ことではないと思う。

 しかし、報告あるいは連絡時において「相談し合う」ということは、その後の関わりを良くするためにも極めて大切なことではないか。
 “相談”とはお互いの意見を出し合ったり、相手に意見を求めたりすることである。相談という行為には、お互いに“考えるという行為”が必ず伴うのである。そこに、当事者間において問題意識が生まれる。これが、意思交換の疎通には大変重要なことではないだろうか。

 パソコンなどの普及で意思交換の手段が多様化され、便利になったがお互いの思い込みで、理解し合っているつもりになっていないだろうか。詰めてみると、意外と根本の捉え方が違ったりしていることが多いのである。

 相談し合うと、お互いの考え方がハッキリと見えてくる。目的が一致しているからといって、そこにたどり着くまでの手段や方法まで一致しているとは限らないことだってある。
 人は理解し合うことができれば、協力し合えるものである。理解が深まれば深まるほど、より協力関係を強化できると、私は信じている。

 “その場の雰囲気に流されず、一考を講じること”必ず良い智慧が生まれるものでである。