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考える言葉

 

トキ(朱鷺)

 
2000年04月03日(月)

 「お互いにテーマを出し合って随筆を書こう」という企画に上手く(?)誘われて、ノッテしまったが、人の出したテーマを書くことの難しさを思い知らされた。

 その中に“朱鷺”というテーマがあった。私はこの鳥のことをあまり良く知らない。
学生の頃の記憶だから、もう30年近くなると思うが、絶滅したと思われていた野生の朱鷺が発見され、大変話題になった時期があった。

 昨年、佐渡の保護センターで人工孵化された朱鷺のひなが誕生し、“ユウユウ(優優)と名付けられたというニュースが流れ、久し振りに“朱鷺”の話題を聞いた。そんな懐かしさから、誰かがテーマとして出したのではないかと思う。

 私は、朱鷺と言えば“絶滅の種”のシンボルのような響きがあって、何故か“存在の儚さ”を感じると同時に、人間による自然破壊の犠牲的存在としての印象が強く、何となく後ろめたさを感じるのである。

 しかし、この地球に生命が誕生して以来、どれほどの種が滅び、新たな種が生まれたのか私の知る余地もないが、何故“朱鷺”だけが特別扱いをされるのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。調べてみると、朱鷺は学名をニッポニアニッポン(Nippnia Nippon)といって、日本の各地にいた鳥で、蛙など水田にいた小動物を食べ、稲作文化を中心とする日本人の生活に深く関わり、古くは「日本書記」にもその名が登場する日本を代表する鳥だったという。 

19世紀後半(明治時代)から、美しい羽根を狙われたり、水田を荒らすと言って嫌われたりして、その数を減らしていったらしい(財団法人日本鳥類保護連盟発行「トキに未来を」)。

 優雅な羽根をもち、古くから親しまれた朱鷺は、日本人と最も共存し易い環境があったにも関わらず…。いや、それが故に滅んだと言える。つまり、朱鷺にとってあまりにも環境が良過ぎたがために、環境の変化(人の心の変化)に適応できなかったのだろう。まさに“絶頂の極みが滅びの第一歩”である。

 自分にとって心地よい環境にどっぷり浸かっていると、必ずや油断が生じるものである。平家物語の一文、「…奢れるもの久しからず」は、この世の真理を見極めた古人の智慧として、私たちは心の片隅に常に留めておきたい言葉である。

バブル絶頂期の日本がまさにそうだったのではないだろうか。今、日本経済はそのツケを払わされていると言えよう。

 私たち人間は、朱鷺と違って“考える力”がある。思考力という武器を授かっているのである。今こそ一人ひとりが、自分の頭でしっかりと考えることを大切にして仕事をしていかなければならないと思う。でなければ、朱鷺の運命は、まさに私たちの未来を暗示していることになる。