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考える言葉

 

一心不乱

 
2000年06月26日(月)

 昔懐かし語録とでも言おうか、少しでもいい大学へ入ろうと一浪あるいは二浪が常識であった私たちの受験時代、よく耳にした言葉がある。
「一心不乱」「初志貫徹」「欲しがりません、合格するまでは!」「苦あれば、楽あり」等など。
受験スローガンが得意な先生や仲間がいて、刺激を受けては「よし、これだ!」と壁に貼って努力をしてみるものの3日と続かず、自分の意志の弱さに愛想が尽きて自己嫌悪によく陥ったものだ。
でも、何とかしたいという“ひた向きな心”があったような気がする。
未熟であるがゆえに挫折することが多かったが、決して投げやりな気持ちにはなれない。そんな自分に不思議な気がしていたが、今思うと、自分の根底に強い成長願望があって、それが“心の支え”となっていたのだろうと思える。
最近の日本は、人間の成長願望を奮い立たせるような言葉が少なくなったような気がする。政治のレベルは言うまでもないが、私は“マスコミのレベルの低さ”が大きな要因になっているような気がしてならない。
全般的に低俗な番組が多く、何か事件が起きるとその類似性を煽り立てるような報道を並び立てる。表層的で、見識を欠く内容が多いと思う。
どことなく、この業界には傲慢な匂いがする。もっと職業意識に目覚め、高い使命感を持って仕事をして欲しい。
今、私たち日本人に必要な情報とは何か。多くの人は、日本の未来への展望を探りたいと思っている。自分のアイデンティティを確立したいと考えている
すでに未来を見据え、熱い使命感に燃えて行動している多くの人がいる。そんな人の話が聞きたい、自分もやってみたいと共感・共鳴できるような情報が欲しい。
人間は、自分が夢中になれるようなものと出逢えたとき、心のトキメキを覚えるものである。そんな出逢いをしたいと誰もが願っていることも確かである。
“一心不乱”もそうであるが、かつて私たちを支えてくれたいくつもの言葉が死語に成りつつある。訳の分らないコギャル語が、マスコミを介して世の中に反乱している。
世の中に勇気と希望を与えてくれるような人をもっとマスコミに登場させて欲しいと思う。そんな人達は、どんな言葉のメッセージを届けてくれるのか。私は聞いてみたいと思う。
こんな言葉のメッセージがある。
「一心不乱に今の仕事をしていたら、これが私の天職だと思えるようになりました」