本文へ移動

考える言葉

 

仮装・隠ぺい

 
2000年07月10日(月)

 相続税調査の案件で、納税者に“仮装・隠ぺい”があったかどうかの事実認定で税務署と争っている。

私たちは、俗に虚偽(うそ)の申告により税金逃れをする行為を“脱税”と言っているが、“仮装・隠ぺい”とはその手段となる行為のことである。

 国税通則法68条(重加算税)は、「…仮装・隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出していたときは、重加算税を課する」としている。

 重加算税とは、行政罰であり、仮装・隠ぺいと認定された場合、調査により追徴されるようになった税金(本税)の35%増しの加算をされることとなる。

 仮に1000万円の追徴税があったとすると、さらに350万円が加算されることとなるので、納税者にとって実に痛い話となる。

 そこで、最も問題となるのは“仮装・隠ぺいであったかどうかの事実認定”のやり方だろう。
 
 今回の調査で、私が呆気に取られたのは、税務署(統括官)が「相続税では、申告時に(納税者が)載せなかった財産は全て仮装・隠ぺいと捉えている」、さらに「重課を課するかどうかの権限はこちらにあるのだから、(根拠を)説明する必要はない」と発言したことである。

 この発言は、あまりにも、不用意で、然も権利の乱用意識が恐ろしく露骨にでていて、こんな役人がまだ存在しているのかと思うと、暗澹とした気持ちにさせられる。

 “仮装・隠ぺい”の定義は、法律上明確に規定されていないが、過去の判例等によると、「行為の意味を認識しながら故意に行うこと」、つまり“故意”であったかどうかが決め手となる。

 疑ってかかるのが税務署の立場と言いたいのだろうが、それで“真実”が観えるのだろうか。否である。何故か、彼らは“故意であった”という事実しか見ようとしていないからである。これでは、悲しいかな、冤罪に泣かされる人が絶えない。

 行為には、必ず動機が存在するという。その動機を探るには相手の立場に立って考え、見なければ分らないのではないか。

 「相手の立場に立つ」ということは、「自分と相手を同化させること」である。そうした時に、「載せなかった財産は全て脱税の意図があった」などと言い切れるのかどうか。

 それでも、「そうだ」と言い切れるとすれば、そんな人間が他人に行政罰を加える権利などあろうはずがないと考える。

  行政の決定に対しては、異議申立て等の対抗手段がある。時間と費用がかかるが、権利の乱用を許してはならないと思う。