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考える言葉

 

名誉

 
2000年09月11日(月)

私たち現代人は、“名誉”ということに無関心あるいは希薄な感じがする。

 戦後の日本人は経済至上主義という敷かれたレールの上を余り物事を深く考えずに走ってきた。経済的豊かさに埋もれ、金拝主義がまかり通るモラルの低さ。目先の快楽に溺れ、真の生きがいを感じきれない大人そして若者達。
そんな日本人にとって、名誉という言葉は死語に近いのかも知れない。

 名誉職、名誉市民・国民といった言葉はある。「今度、誰それさんは名誉何とかになったらしいよ」「へぇー、凄いな。で、何か見返りあるの?」

 広辞苑によると、名誉とは「①ほまれあること②名高いこと③道徳的尊厳、即ち人格の高さに対する自覚。また、道徳的尊厳が他に承認・尊敬・賞賛されること」とある。
私は、名誉とは「仕事に対価である報酬として表現できない部分を“補うもの”」と考えたい。
その意味において云うと当然ながら、名誉とは金銭的な見返りを云々すべき次元の問題ではないことは明らかである。

 それと、名誉とは社会的承認・尊敬・賞賛とか他からの評価が伴うことであるが、もっと大切なことは、「名誉とは、自分の高い価値観に照らして、自らの尊厳性や価値を自分の中に確信できたとき、それが名誉になる」(経営人間学)ということであろう。

 職場で働く一人ひとりの仕事に対する認識のあり方、お金に換算できない価値をどのように考えるのか、各自の仕事に対する思想性が問われることになる。
思想とは“物事を正しく考えるための道具”のことであるが、21世紀というこれからの時代は、自分の仕事に“やりがい”を見出すためには、「何を名誉として仕事をしているのか」という自らの基準を持ち得ているかどうか、その思想性が大切となろう。

 さらに企業にとって大切なことは、名誉のような形にならないあるいは見えない価値を認め合うことができるような企業文化(風土)をどのように創るかであろう。
そのキーワードとなるのは、“信頼”関係であろう。お互いがお互いにやっている仕事の価値を認め合うことができる“信頼組織”の構築が急がれる。

 そのためには、一人ひとりが目先の私利私欲や利害得失にとらわれて、ソロバンをはじくのではなく、次元の高い価値観に裏付けられた考え方ができるように成長しなければならない。

 仕事を通して“自らの名誉”を自分の中に確信できる人間に成長したい。マズローのいう自己実現へのステップでもあろう。